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三鷹とわたし

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1.三鷹市で過ごした子ども時代

 私は、昭和26(1951)年9月に武蔵野市吉祥寺本町で誕生し、昭和36(1961)年3月、小学校の5年生になるときに、三鷹市中仙川(現在中原)に転居しました。それは、父が小売酒販店を開業することになったためです。お店番をしたり、父の配達を手伝ったりしながら、商店の娘として成長しました。そして、都立富士高校2年生の時にいわゆる軽免許を取得してからは、配達をするために市内を運転して動くようになりました。転居した当時は農地が多く残っていた家の付近には、次第に公団住宅や都営住宅、戸建住宅が増えて、三鷹市が住宅都市に変貌する過程を、店の手伝いを通して感じる日々でした。

2.教育委員会の読書感想文コンクールでの受賞から始まる三鷹市とのご縁

 私は、小中学校は世田谷区内の私立学校に通学していましたし、都立高校も市外でした。大学も市外の大学でしたので、市内で学校生活を送らないまま成長しました。店の手伝いを通じた地域とのご縁はあっても、市立学校に通学したことがないことから、自分の中に地域社会との関係が薄いと言う感じがしていた私は、大学院に進学して以降は、特に市の広報紙を熱心に読むように努力していたのです。あるとき、教育委員会が募集していた「読書感想文コンクール」に応募することを思い立ちました。幸い、一般の部で優秀賞を受賞しました。それが、ご縁だったと思いますが、三鷹市で初めての基本構想・基本計画を検討する際の「市民会議」に学生代表委員、すなわち最年少の委員として委嘱されることになりました。市民会議のメンバーは、町内会の代表の方、住民協議会の方、PTA役員や社会教育委員、多様な地域活動や市民活動をされている錚々たるメンバーでした。メンバーの皆さんや市役所の皆さんは、最年少の世間知らずの私に期待をしてくださいました。分野別の検討を進める際には、教育・文化分野の部会に加わったのですが、書記の仕事を任せてくださいました。市の職員と共に初めての事務局の役割を果たすことを通して、市民参加活動の基礎であり、原点を経験することができました。

3.三鷹市の市民活動について執筆した初めての論文

 三鷹市での市民参加の機会を得て、地域社会との関係を深めることができた私は、地域に根ざした研究を心がけることとなり、昭和51(1976)年には、三鷹市の社会教育会館で実施され、全国的に注目されていた「市民大学総合コース」を1年間事例研究させていただくとともに、三鷹市内の地域文庫・家庭文庫活動のボランティア経験をさせていただき、文庫活動を実践されている主婦の皆さんにインタビュー調査をさせていただきました。その結果をまとめた論文「地域社会と社会教育―文庫活動の展開と主婦の意識変化をめぐる一事例―」は、大学院の論文集に掲載され、三鷹市という地域を事例とした具体的な実証的研究として大きな反響をいただきました。

4.三鷹市内の大学での教員としての経験

 大学院を修了して以降、初めて大学教員として講義をしましたのが、母校の慶應義塾大学とともに、三鷹市内の杏林大学医学部公衆衛生学教室です。昭和58(1983)年4月から4年間は水戸市の常磐大学人間科学部に専任講師として勤めましたので、2年ほどは三鷹市を離れ千葉県内に転居しました。けれども、幸い、昭和62(1987)年4月には三鷹市内のルーテル学院大学文学部に助教授として招聘され、赴任しました。その後平成4(1992)年教授となり、平成11年まで12年間奉職しました。お隣の国際基督教大学でも、延べ6年間非常勤講師として講義をいたしました。

5.三鷹市で経験した政策提言の機会

 大学教員となり、地域や自治体の情報化、情報社会の生涯学習等について研究を進めました。三鷹市で実施されたINS実験の際も、当時の電電公社から研究委員を委嘱されたり、市が行った実験委員会委員も委嘱されたりするなどの経験を重ねました。三鷹市との関係も個人情報保護委員会、保育問題審議会等の委員、行財政改革施策助言者、社会教育委員、生涯学習会議会長、まちづくり市民会議分科会座長、三鷹市まちづくり研究所研究員など、専門性を生かしたものに広がっていきました。その折々に、安田市長さんから自治体行政のむずかしさや、それを行ううえでの理念や政策を教えていただきました。
 昭和60年代以降、私は東京都や国の政府(内閣府・総務省・国土交通省等)の審議会の委員もさせていただくことが増えていきましたが、特に、基礎的自治体である三鷹市での経験と学びを踏まえて、自治体の視点、市民の視点で発言させていただき、政策提言をさせていただいてきています。

6.「三鷹が創る自治体新時代」執筆とみたか市民プラン21会議代表の経験

 三鷹市で学び活動する専門家として、安田市長さんからのご推薦により「市制50周年、西暦2000年記念誌」である「三鷹が創る自治体新時代-21世紀をひらく政策のかたち-」を一人で執筆させていただきました。この書は、お蔭様で多数の購読者を得て、自治体分野において大変高い注目を得ることができました。
 また、三鷹市まちづくり研究所の研究員として多くの提案をさせていただきました。最近の例では「SOHO CITYみたか構想」、そして行政と市民のパートナーシップ協定に基づく「みたか市民プラン21会議」の実現です。この二つの事例は、最近の自治体行政の実践の中でも、全国的に注目され評価が高く、行政と市民の協働型の自治体政策の新しい形を示すものですが、これらについては、安田市長及び議会と市民との信頼関係の中で、相互の信頼を実現すべく、市民の意見のとりまとめをさせていただきました。

7.三鷹市への恩返し、<人とくらしが輝くまち>づくりを

 私は、三鷹市の市民、行政、議会の皆様に、基本構想に掲げる<平和・人権・自治>の大切さと<民主主義に基づいた自治>のあり方を教えていただいてきました。三鷹市の高環境、高福祉の都市としての魅力がさらに磨かれ、<人とくらしが輝くまち>となるよう努力を続けていくこと、それが私を育ててくださった三鷹市への恩返しと思っています。