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東日本大震災の被災地福島県相馬市を訪問(1)

  • 2019/05/26 10:06
命を守る公共施設の「廊下の広さ」

5月22日から23日まで、福島県相馬市を訪問しました。

相馬市の立谷秀清市長は、昨年の6月から全国市長会の会長を務めていらっしゃり、私が特命副会長として「子ども子育て支援施策」を中心にお支えしてきた方です。
それ以前の2016年6月から2018年6月までは、お互いに副会長同士として政策研究や国への要請行動をご一緒してきました。
今回は、三鷹市長退任のあいさつと共に、東日本大震災の被災地である相馬市を視察させていただきたいと訪問したのでした。

まず、相馬市の立谷市長を表敬訪問したのは、東日本大震災後の2014年9月から建設が開始され、2016年10月に竣工した相馬市庁舎です。
旧庁舎で業務を継続する中で、現市庁舎は旧市民会館跡地に建設され、鉄筋コンクリート造り地上4階建て、延べ床面積が9,534.17㎡であり、市立中村第一小学校や相馬スポーツアリーナ、相馬市民会館などの公共施設と同様、和風建築をイメージした外観が特徴です。

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相馬市役所3階の美術館のように多数の絵画頑張って展示されている廊下

建物は、東日本大震災の際の経験と教訓を生かしています。高い建物ではなく、4階建てです。
そして、市庁舎の廊下のみならず、隣接の市立中村第一小学校の木造校舎や復興長屋住宅を訪問しましたところ、廊下は一般的な施設よりも幅員が広かったことが印象的です。

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相馬市立中村第一小学校の廊下
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相馬市「相馬井戸端長屋(災害公営住宅)」の廊下

地震の発生などのいざという時に、市民の皆様にとっては市庁舎の廊下も、小学校の廊下も、復興長屋の廊下も、安全を確保した快適な居場所とすることができる幅員の広さではないかと感じました。

廊下も含めて、ゆとりがある公共施設を視察して、市民の皆様の自助・共助のとりくみを保障するために、公助の拠点の在り方のヒントを得たように思います。

にっぽん子ども・子育て応援団結成10周年記念フォーラムに話題提供者として参加

  • 2019/05/19 23:19

私は、三鷹市長として多くの政策課題に直面し、対応してきました。
中でも「子ども・子育て支援」は、私にとって極めて深い問題意識をもって臨んできただけではなく、その課題解決に向けて、多くの政策提案と制度設計の機会を持ってきました。

私が二人目の子ども(次女)を出産した平成元(1989)年は、いわゆる「1.57ショック」が注目された年でした。
一人の女性が一生涯にわたって産む子どもの数の推計値である「合計特殊出生率」が、極めて低い数値になったからです。
その後、国は、「エンゼルプラン」「新エンゼルプラン」をはじめとして多くの少子化対策を進めましたが、少子化はなかなか止まりはしませんでした。

2003年4月に、私が三鷹市長に初めて就任した直後の7月に「少子化対策基本法」が制定され、2期目に就任した2007年に官邸から「子どもと家族を応援する日本重点戦略会議」の構成員に指名され、12月の重点戦略のとりまとめに加わりました。

その直後に、厚生労働省社会保障審議会に「少子化対策特別部会」が設置され、全国市長会推薦の委員として、家庭的保育(保育ママさん)の制度の改善などをはじめ議論に加わりました。
その過程で、今後、国及び自治体が子ども・子育て施策の充実を図るとともに、その財源確保を推進することを目標に、2009年5月に設立された「にっぽん子育て応援団(現在のにっぽん子ども・子育て応援団)」に企画委員として参画しました。

その後、内閣府に設置された「子ども子育て支援新制度」の構築に向けて設置された「基本制度ワーキングチーム」「幼保一体化ワーキングチーム」の構成員に就任し、2012年8月の「子ども・子育て関連三法」の成立に向けた基礎自治体としての意見を表明してきました。
法成立後は、2013年に法に基づいて設置された内閣府「子ども・子育て会議」の構成員を2015年4月の本格施行まで務めました。
この2年間において、市町村が実施主体であること、施設型給付と地域型保育給付の創設、認定こども園制度の改善、公定価格の考え方、母子保健の充実などに関する濃密な議論に参画しました。

こうした経過の中にあって、にっぽん子育て応援団のフォーラムや研究会にも、基礎自治体の市区町村長が積極的に参加するようになりました。
私は、3年前からは東京都市長会推薦で、東京都の「子供子育て会議」の委員を務めてきました。
2016年6月からは、全国市長会の会長特命の「子ども・子育て支援施策担当副会長」を務めて、この1年間は「幼児教育・保育の無償化」を国と地方の協議の場等を通じて協議に参画してきました。

三鷹市の実践としては、妊娠期からの切れ目のない子育て支援としての、妊娠届を提出されたすべての妊婦さんの保健師・助産師等による全員面接「ゆりかご面接」から始まる「ウエルカム・ベビー・プロジェクト」を推進してきました。
パソコンやスマートフォンを利用したプッシュ型の情報提供サービス「ゆりかごスマイル」、出産後のケアのデイサービス「ゆりかごプラス」などを通して、心身ともに極めてデリケートな時期を支えていく仕組みが具体化してきました。

第3分科会では、応援団長の一人である樋口恵子さんのコーディネートのもと、東日本大震災の被災地である岩手県遠野市の本田市長、昨年の西日本7月豪雨の被災地である岡山県総社市の片岡市長、首長で初めての育児休暇を取得された文京区の広澤区長とご一緒に話題提供を行いました。

2019051904.png第三分科会で話題提供

フォーラムの最後の全体会では、「すべての子どもたちが、慈しみと支え合いの中で育つための環境整備を」と題するアピールが採択されました。
今後も、子ども・子育て支援をライフワークにしていきたいと決意しています。

新川中原住民協議会主催「コミュニティまつり」で起震車を体験

  • 2019/05/19 09:44

五月晴れの土曜日、新川中原住民協議会主催「コミュニティまつり」を訪ねました。
例年は4月に実施されているコミュニティまつりですが、今年は4月に市議会議員選挙・市長選挙があったので、5月の開催となりました。

コミュニティセンター隣接のあおやぎ広場では、主として「安全・安心」をテーマに、パトカー、三鷹消防署のはしご車、消防団のポンプ車が展示され、乗車体験が行われています。
また、火災の煙を体験できるコーナーや地震の揺れの体験ができる起震車がありました。

2019/05/19|起震車揺れを待機起震車揺れを待機

市長在職時は、市民の皆様の体験の機会を優先したいとの思いから、行列のある時は体験を遠慮してきた起震車ですが、今回は市長職を退任し、地域住民として参加しましたので、私は皆さんとご一緒に長い行列に並んで起震車を体験しました。
最近も、宮崎県の日向灘を震源とする地震や岩手県沖を震源とする地震が発生しており、首都圏での発生も懸念されています。

平成23年(2011年3月11日に発生した地震は、三鷹市で「震度5弱」でした。
地震発生の午後2時46分は、ちょうど市議会の次年度の予算審査特別委員会を開会中でした。
あまりの大きな揺れが長く続きましたので、私は机の下に身を隠して揺れを凌ぎました。
そして、携帯電話に入ってきた「東北地方で震度7、大津波警報が発令」との速報を伊藤俊明委員長に伝えました。
委員長は、直ちに休憩にするので、災害対策本部長である市長は、直ちに対応をしてくださいとのことでした。
私は急いで庁内及び体育館等の被害状況を確認したうえで、放送室に向かい、自らマイクをとって、地震の状況を伝えました。

要約すると、

「ご来庁の市民の皆様、ただいま、東北地方で震度7の地震が発生し、三鷹市では震度5弱でした。庁内では書棚が倒れるなど一定の被害が出ていますので、皆様、余震等にお気をつけて、落ち着いて帰宅してください。職員に連絡します。まもなく、災害対策本部会議を開きますので、直ちに部長の皆さんは参集してください。」

と連絡しました。

もちろん、原稿など用意するのではなく、大きな揺れで、動揺している市民の皆様、職員の皆さんに当時の最新の情報を伝えて、落ち着いて行動していただくようにとの想いで行動しました。
その後、保育園や学校の児童・生徒の安全確保や帰宅困難者対策など、それまでの防災訓練だけでは対応できない事態に対応する日々が始まったのです。

さて、起震車では東日本大震災の三鷹市での震度を上回る「震度5強」の体験でした。
普通に立っているとまったく不安定で、机の下に身を隠して安全確保をしようとしましたが、指導員の方から「もっと体を入れてください」と声をかけていただくほどに「頭隠して尻隠さず」という諺(ことわざ)通りの姿でした。

2019/05/19|起震車で頭かくして尻隠さず
起震車で頭かくして尻隠さず

一定の揺れを体験して、起震車を離れようとするとき、指導員の方から確認が入りました。

「もしも、震災時に家を離れて避難するときに、することは?」

との質問です。

「しっかり電気のブレーカーを下げて離れます」

と起震車の壁に付いているブレーカーを下すと、「正解です」と声がかかりました。

当日、大人の皆さんだけの体験の際には、なんと「震度6弱」の体験をされていました。
その揺れを見ていますと、体を支えるのが精いっぱいのご様子で、高いところに置いてあるマットレスが落ちてきます。
やわらかいものですので、被害はありませんが、高いところの固いものが落ちてきたら、それだけでケガを負うことになるでしょう。
我が家の自分の部屋の状況を再確認すると、高いところに重いもの、固いものが置いてあります。
書棚などの家具には転倒防止装置を付けてありますが、壁の絵画や家族写真の額が安全であるかを再検討する必要があります。

災害対策本部長の役割と責務を離れて、毎日の緊張感はやや緩んでいますが、災害はいつやってくるかわかりません。
新川中原コミュニティまつりで、改めて、地域の安全安心は、一人ひとりの意識と防災対策、そして、一軒一軒の住宅の防災に向けた安全確保、それを啓発していただく住民協議会や自主防災組織の働きかけが不可欠であることを再確認しました。

「鈴木敏夫とジブリ展」から再確認した言葉と文字の力

  • 2019/05/12 22:54

5月7日、平成から令和への移行時の10連休明けの日に、神田明神文化交流館内の神田明神ホールで開催中の「鈴木敏夫とジブリ展」を訪問しました。
連休中は大混雑との報道があり連休明けに来館しましたが、入り口には大行列ができており、館内も多世代の来館者で混雑していました。

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鈴木敏夫さんは、申すまでもなく多くのジブリ作品を制作されたスタジオジブリの代表取締役プロデューサーです。
この展覧会は、鈴木さんの言葉と鈴木さんによる書画を通して、スタジオジブリの数多くの作品の魅力や制作過程を再認識し、趣向を変えてジブリの作品を楽しむように展示されています。

この展覧会を通して、鈴木さんは、宮崎駿監督や高畑勲監督のアニメーション映画の製作責任者として加わるだけでなく、作品の広報のためのキャッチコピーを考案されたり、実際にポスターに題字や説明の文字を書かれることで、作品の魅力やメッセージを伝える過程でも大活躍をされていたことがわかりました。
鈴木さんは、宮崎駿監督と会われる前は、人とお話をされるときにメモ代わりに絵を描くことが多かったそうですが、同様にメモ代わりに絵を描かれる宮崎監督と出会われてからは、絵ではなく文字で、それも筆で書として書かれることが多くなられたとのことです。

その文字と書が溢れた展覧会場には3か所のみ撮影を許可された場所があり、その一つは、『千と千尋の神隠し』に登場した湯屋「油屋」の湯婆婆の部屋でした。
その部屋で、60代の私ですので止せばよかったのに、若い皆さんの動作につられて、ついつい「恋愛おみくじ」を引きましたら、なんと「大凶」でした。
そこで、鈴木さんが書かれた「令和」の文字の前で「大凶」なのは恋愛運だけにしていただこうと記念写真を撮りました。
そのおみくじには「どうにもならないことはどうにもならん。どうにかなることはどうにかなる。」と鈴木さんの文字がくっきりと書かれています。
まさに、その通りです。

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観覧した後で、角川書店から刊行されているこの展覧会の公式読本『人生は単なる空騒ぎ―言葉の魔法―』という本を求めましたら、巻頭に「人は言葉でモノを考える。言葉で考えを組み立てる。声に出すと、考えが自分の作った言葉に支配される。言葉はかく面白い。」と鈴木さんの個性あふれる文字で書かれていました。

私は大学で教員として、研究者として仕事をしていたとき、「言語は思考を規定する」ことを痛感してきました。
日本語で思考するとき、外国語の論文を読みながら思考するとき、言語、言葉、語彙は、まさに人の考え方に影響をもたらすものであり、真実や真理を究明しようとするとき、どの用語を選ぶか、何を根拠に推論し、証拠に基づいて結論付けるかに時間をかけ、その内容に責任を持つように心がけてきました。
研究者としての倫理の重要性を痛感してきました。

市長としても、公約(マニフェスト)に何をどのように行うかを示すときに、市民の皆様にわかりやすい言葉を選び、実現可能性の根拠を持ちながら説明することを心掛けてきました。
公約は文字通り「公」に向けての約束であり、公表するということは実現するという責任の重大さを痛感し、市長としての倫理が求められていると痛感してきました。

「声に出すと、考えが自分の言葉に支配される」とのプロデューサーの鈴木さんの視点は、痛烈だと感じています。

多摩動物公園開園61周年記念日、動物たちとの出逢い直し

  • 2019/05/07 08:11

令和元年5月5日の「子どもの日」、二組の娘夫婦と三人の孫と訪ねたのは多摩動物公園。
午前9時前に到着した私たちは、開園を待つ長蛇の列にさすが「子どもの日」と思っていたところ、開園を早めるとのアナウンスに続いて、多摩動物公園長の渡部浩文さんの挨拶を聴くことができました。
というのは、この日は「開園61周年記念日」であったからです。

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入園してまもなくの場所で、お客様を着ぐるみの動物たちと一緒に歓迎している渡部園長と会話を交わすことができました。
この4月に三鷹市にご縁が深い「井の頭自然文化園」の園長に就任されたのが、3月まで多摩動物公園の園長でいらした永井清さんであり、その永井さんは、井の頭公園のアジアゾウのはな子が平成28年5月26日に69歳の生涯を閉じたときの園長でいらして、2年振りに自然文化園に復帰されたのでした。
渡部園長は、園内ではライオン園、アフリカ園のサバンナやアジアゾウ舎などの整備中ですが、好天ですのでゆっくりと過ごしてくださいと言ってくださいました。

私は二人の娘が幼児の頃に私の両親と一緒に来て以来の来園ですので、約25年振りとなります。
まさに、動物たちとの出逢い直しです。

あの時も眠っていたコアラは今回も木の上で熟睡中。
チーター、ライオン、キリン、シマウマなど、図鑑でみるとは違う迫力に、孫たちのみならず初めて来園した婿たちもワクワクしている様子。
オランウータンのスカイウォークは、大人のオランウータンが天高く張られたロープを想像通りに円滑に伝ってくれる半面、小さな子どもの方は時折ヒヤヒヤさせるロープ伝いで、上空を見上げる来園者を注目させています。

井の頭自然文化園でアジアゾウのはな子の誕生日を何度もお祝いし、葬儀にも出席した私は、思わず懐かしさでアジアゾウ舎では時間をとってしまいました。

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各所にクイズが掲示されていたり、動物たちを身近に、まじかに見ることができる工夫が随所に見られて、以前に来園したときよりも、動物たちに親しく接することができました。

9時過ぎから14時半まで、見晴らし台での昼食をはさんで、高低差のある園内を歩き続けて、歩数は1万4千歩あまり。
とはいえ、多摩動物公園は丘陵にあるために、まさに、哺乳類の動物だけでなく、鳥や昆虫、木々等の植物を含めて生物多様性を実感できました。
途中の整備中の場所については、61年目を迎えている「動物公園」の次世代の在り方を、令和に入って改めて模索するかのうような印象を受けました。
そこで、今後は、身近な井の頭自然文化園と同様に、もっと頻繁に訪れたいと思ったところです。

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御苑の緑の中、令和元年を迎えて

  • 2019/05/04 22:10

 新天皇がご即位され、元号が平成から令和へと移り、世の中が10日間の連休となっている中、私は本当に久しぶりに新宿御苑を訪ねました。連休中の新宿御苑には外国人観光客の楽し気な外国語の会話が聞かれる中、さわやかな5月の風が吹きぬけています。

 首都東京の副都心である新宿区から渋谷区にまたがる広大な園内には、新宿門から入ってすぐに、ここが都心かと思われる水辺の風景があります。木立が陽の光を妨げている薄暗さに目を凝らすと、黒い水に木立が姿を映し、小鳥のさえずりが緑を揺らしています。

 私は20代の1970年代に、慶應義塾大学の法学部政治学科、大学院法学研究科・社会学研究科で学んでいた頃、文献を千代田区の神保町の書店で探し、そのあとで新宿御苑のベンチで本を読みふけりました。政治学や社会学の理論に関する文献を読むとき、現実の社会構造や社会問題の「るつぼ」であろう都心に身近に在りながら、自然の息吹が溢れる新宿御苑は、思考と考察における「客観」と「主観」の往復を支えてくれる空間でした。

 4月29日を任期の最後に市長の職を離れた私にとって、しばらくぶりに訪れた新宿御苑は、若い時のように文献を読むのではなく、往来する人や自然に囲まれつつ、「来し方行く末」に関する思考と考察における「客観」と「主観」の往復を保障してくれるような気がしました。

 市長として、毎日の公務を果たす中ではなかなか得られなかった「自分だけの時間」であり、それは大げさでなく、私が新たな使命を感じ取り、自分としての生き方を考える力の源泉を与えてくれたように感じます。

 プラタナスの並木道は、私の20代の頃より幹が太くなった木がしっかりと根を張り、これからの私の今ひとたびの「青春時代?」を応援してくれるようにしっかりと立っています。

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新宿御苑の水辺

市長を退任して

  • 2019/04/30 01:44

皆様、こんにちは、清原慶子です。
平成31(2019)年4月29日午後12時、平成31(2019)年4月30日午前0時に、無事、4期16年間つとめさせていただいた三鷹市長の職を退任いたしました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

市長として最終日の4月29日には、三鷹青年会議所主催の「第37回わんぱく相撲三鷹場所」や「武蔵野シンフォニック・ブラス・オーケストラ 創立30周年記念第24回定期演奏会」に参加して、三鷹市長としての最後の祝辞を述べました。
それに先立って、市長としての平日の最後の登庁日であった4月26日(金)には、決裁等の職務を終えて、教育委員会、選挙管理委員会、市役所の各部各課の職場を訪ねて、職員に感謝の意を伝えました。
そして、臨時の部課長連絡会を開いていただき、幹部職員に感謝を申しました。

その後、終業直後の午後5時過ぎから、市役所1階で、ご来庁の市民の皆様、職員の皆様に退任の挨拶をさせていただきました。
市長としての16年間を振り返ると、いくつかの災害や困難もありましたが、多くの政策や事業を市民の皆様との協働で行うことができましたし、職員の皆様のご活躍で進めることができました。
私は、ひたすら想いを込めて、皆様に感謝の気持ちをお伝えするばかりでした。
本当に、どうも、ありがとうございます。

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さて、間もなく「令和元年」の扉が開きます。
私は、そうした節目の時期に市長職を辞し、別の立場での人生を生きる機会をいただきました。
女性の市長としては初めてとなる4期16年間、健康に恵まれて市長の重責を担わせていただきましたことに感謝し、今後も、誠心誠意、地方分権と地方自治の発展のために、地域社会において地道に学習し、活動していきたいと思います。
その過程での折々の出会いや出来事、学んだこと、調べたこと、活動したこと、感じたことなどについて、皆様にお知らせしていきたいと思います。
どうぞ、お時間のあります時に、清原慶子のオフィシャルウェブサイトをお訪ねください。
それでは、また、お目にかかります。

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