広島市東京事務所の山本雅英所長と平和と防災について対話しました
先の大戦の終戦から、まもなく80年の年月が流れようとしています。
いわゆる【戦争を知らないこどもたち】の1人である私は、世界では戦争や紛争が途絶えることのない状況を認識するとき、この日本の平和は掛け替えのないものであり、いつまでも続くように、そして、このまま私は戦争を経験しない一生を過ごしたいと願ってきました。
そして、心から、世界の平和、日本の平和を祈ってきました。
今年は、ヒロシマ・ナガサキの被爆から80年でもあります。
そして、今、地方6団体の一つである全国市長会の会長は、広島市の松井一實市長です。
4月に開催された【こども政策に関する国と地方の協議の場】では、オンラインではありましたが、松井市長が全国市長会を代表して参画され、私も同席して、特に【こどもたちに命の大切さをもっと伝えていきたい】との松井市長の発言を身近に傾聴しました。
5月のある日、私は、東京市政会館にある【広島市東京事務所】を訪問して、山本雅英所長と対話しました。
山本所長とは、2024年8月9日、長崎市で平和祈念式典が実施される同時刻に、都立井の頭自然文化園内の彫刻家の北村西望さんを記念する彫刻館で開催された【井の頭平和祈念会】で、初めておめにかかりました。
北村西望さんは、長崎市平和祈念公園に設置されている【平和祈念像】を制作した彫刻家であり、生前はこの日に平和祈念会を実施され、没後は彫刻家のお弟子さんや友人の方々が継承されているものです。
山本所長は、長崎市東京事務所の渡辺清英所長とご一緒に来賓の市長代理として参加されていたのです。
お話の中で分かったことは、山本所長は松井市長が就任された直後から4年間、市長秘書を務められたそうです。
そこで、松井市長が、全国市長会会長、指定都市市長会の交通・まちづくり部会長、被爆地の市長、【平和市長会】の会長など、多くのご大役を果たされていることから、その市長を支える東京事務所長の責任を果たされる上で、秘書であったご経験は大いに役立っているのではないかと思います。
昨年東京事務所長に就任される直前は、被爆者支援の部署で活躍されていたそうです。
被爆80年を迎えようとしている最近は、被爆者が高齢化し、支援の内容も多様化していると拝察しますので、被爆者支援の責務を果たされたことは、広島市の職員として誇りであり、やりがいを感じていらしたのではないかと思います。
また、東京事務所の会議室の壁には、2023年9月に設立された【広島市豪雨災害伝承館】についてのポスターが掲示されていました。
この豪雨災害は、【死者77名、住家全壊179棟、道路・橋梁・河川堤防1079件の物的被害をもたらした、最大時避難対象者が約6万9千世帯】であつた【平成26(2014)年豪雨災害】を踏まえて設置されたものということです。
この施設では、展示スペースの見学(土石流のCG映像など)、被災者による語り継ぎ、研修室での防災・減災学習講座、訓練などの体験学習が行われていて、一般の方々、生徒や教員、防災士、企業など、対象別にテーマ・時間などの要望に応じることのできる豊富な防災・減災学習メニューを用意しているとのことです。
山本所長は、この豪雨で大きな被災を受けた【梅林学区】にお住まいとのことで、被災は免れたものの、学区内の皆さんが、「梅林学区復興まちづくり協議会」を結成し、話し合いを重ねたそうです。
その過程で、「あのつらい思いを子や孫たち、そしてすべての人々に二度と経験してほしくない」と、防災・減災の想いを継承したいとの期待が多数提起されたのだそうです。
被爆地であるとともに、深刻な水害による被害を受けた広島市の、平和と防災・減災の取組みは、【平和と安全を確保し、住民の命を守りぬく】という基礎自治体の行政の一つの真髄を示しているのではないかと思います。
