【東京科学大学特命教授大山永昭先生を送る会】に参列
2024年12月14日に、享年70歳にて永眠された大山永昭先生を送る会に、ご縁があった者の一人として参列し、献花をしました。
大山永昭先生は、永らく、東京工業大学(現東京科学大学)工学部教授として活躍されました。
私が大山先生と初めて出会ったのは、1995年旧郵政省に設置された【高齢者・身体障害者の社会参加支援のための情報通信の在り方に関する調査研究会】の委員をご一緒につとめた時です。
そして、その研究会に設けられた【情報バリアフリー部会】で私は主査を務めることとなり、この部会でもご一緒に構成員となりました。
この時の研究会の報告書は1996年にNTT出版から『共生型情報社会の展望』というタイトルで出版され、私は「情報リテラシーを生かす情報バリアフリーを」と題する意見を寄稿しています。
当時から、大山先生は、長寿化が進む中にあって、国民が健康医療情報を自己管理していくために、個人情報保護を図りつつセキュリティを確保したシステムの構築が不可欠という問題意識をお持ちでした。
そこで、その後、厚生労働省等の医療健康情報に関する研究会でご一緒する機会を持つようになりました。
特に、住民基本台帳ネットワーク制度からマイナンバー制度に移行する過程において、健康保険証と住基カード、最近ではマイナンバーカードの一体化が有意義であるとの強い思いで研究を深化させてこられました。
たとえば、『月刊日本行政』第337号(2000年12月)では、大山永昭先生と、吉田望さんと私とで「行政書士制度50周年記念フォーラム開催 どこまで進む電子政府構想--インターネット時代の行政手続き」という座談会でご一緒しました。
さらに、当時、2002年8月から住民基本台帳ネットワークを運営していた【地方自治情報センター(通称LASDEC】が発行する『月刊LASDEC』2006年新年号に、当時の芳山達郎理事長、大山永昭先生と私とで「新春座談会 2006年:新たなIT戦略と電子自治体の取り組み」をテーマに行われた座談会を行い、その記事が掲載されました。
そして、2014年(平成26年)4月1日から、地方公共団体情報システム機構(Japan Agency for Local Authority Information Systems、略称:J-LIS)に改組され、さらに2021年9月1日からは、地方公共団体情報システム機構法に基づく国及び地方公共団体が共同して運営する法人に改組されています。
私は2020年4月からその代表者会議の委員を務めていますが、大山先生は、2023年までJ-LISの経営委員会の委員長をおつとめでしたので、J-LISのそれぞれの役割を果たすことを通して、ご縁がさらに継続していきました。
送る会が開催された四ツ谷駅至近の【主婦会館プラザエフ】7階の会議室「カトレア」には、大山先生の穏やかな笑顔の祭壇が設置されていました。
発起人である東京科学大学総合研究院融合価値共創研究センターの小尾高史センター長は、「大山先生は派手な送り方はしないでほしいと言われていたので開催を迷いましたが、今日、これだけ多くの皆様が参加していただいていますので、きっと、許してくださると思います」と想いを語られました。
その後、(一財)医療情報システム開発センターの山本隆一理事長、卒業生代表として群馬大学数理データ化学教育研究センターの鈴木裕之教授、総務省大臣官房の望月明雄・地域力創造官、デジタル庁国民向けサービスグループ次長統括官付・上仮屋尚審議官、総務省の前情報流通局長で、現在は東京科学大学の小笠原陽一特任教授、日本年金機構樽見英樹・副理事長が、それぞれ大山先生との調査研究や具体的な取組みを通してのエピソードと追悼の言葉が述べられました。
その中の小笠原さんは、郵政省から総務省に至るまで、私にとっても情報通信審議会や各種研究会を通してご縁のあった方です。
この日、会場に着いて、初めて出会ったのも小笠原さんでした。
小笠原さんの追悼の言葉は、私の想いと重なる部分が多かったです。
小笠原さんは、大山先生の遺影に向けて、次のように語りかけました。
大山先生が重視されて来られたのは、情報通信分野の国際標準化の進展、マイナンバーカードに代表されるネットワークにおける個人認証・資格認証の意義、スマートフォンによる個人認証・資格認証の実現などであり、まさに現在のこれらの実現に至る、研究を通した先生の推進力に感謝するということです。
送る会では、J‐LISの吉本和彦・前理事長、菅原泰治・副理事長、独立行政法人情報処理推進機構セキュリティセンターの三田啓・参与、(一財)日本防火・危機管理促進協会の山口英樹・理事長はじめ最近はなかなかお目にかかれない皆様と再会できて幸いでした。
送る会の最後に、奥様からのメッセージが読み上げられ、ご病気を認識されてから4年あまりの闘病生活を、ご夫婦で支えあってこられたこと、最期の言葉が【ありがとう】であったことを知りました。
実は、昨年末、大山先生の奥様から先生の逝去についてのお葉書でのご連絡がありました。
12月14日に逝去されたという記載に、私は大山先生の強い意志を感じました。
なぜなら、2024年12月2日に現行の保険証の新規発行は停止され、いわゆる【マイナ保険証】の利用で受診することが一般的となったからです。
今から約30年前、大山先生は、「日本では国民皆保険であることから、まずは、健康保険証を安全安心なネットワークで使用できるようにしたい」とおっしゃっていたことの実現の第一歩を、見届けてからのご逝去であったことに想いを馳せます。
大山先生が研究者として描いてこられた未来の姿を、熱心なご研究と多分野の皆様とのネットワークで生涯をかけて実現されてこられたご努力について、改めて、心から哀悼の意を表します。


