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【長崎市東京事務所】を訪問して渡辺清英所長と対話しました。

【長崎市東京事務所】を訪問して渡辺清英所長と対話しました。

先の大戦の終戦から80年の年月が流れました。
ヒロシマとともに、ナガサキも被爆から80年を迎えています。
先に紹介した広島市東京事務所のある市政会館には、長崎市の東京事務所もあります。
私は2024年8月9日、都立井の頭自然文化園内の彫刻家の北村西望さんを記念する彫刻館で開催された【井の頭平和祈念会】に初めて出席しました。
その折に、長崎市東京事務所の渡辺所長と広島市東京事務所の山本所長と初めてお目にかかったのです。

長崎市の平和公園に建立されている北村西望作の【平和記念像】は、三鷹市新川の【仙川平和公園】にも建立されているというご縁があります。
そこで、北村西望さんの彫刻がある彫刻館での【平和記念会】に、鈴木史朗・長崎市長の代理として参列された渡辺所長と出逢ったことはとてもありがたいことでした。
その折にはゆっくりお話をすることができませんでしたので、東京事務所の訪問をお約束してお別れしたのですが、ようやくこの5月の訪問となりました。

私は、三鷹市長就任前に、2人のこどもたちを連れて、8月9日の被爆の日に長崎市を訪問したことがあります。
三鷹市長在任中も、何度か長崎市を訪問しました。
たとえば、戦後70年、被爆70年の2015年には、中学生を長崎市の平和学習の経験を含めた交流の派遣事業を行い、私自身も引率して同行するとともに、平和記念式典に出席しました。
前日には、当時の田上富久・長崎市長と面談しました。
田上市長とは、全国市長会でお目にかかることも多く、【市民本位の自治体経営改革】の推進に向けて、相互に切磋琢磨した関係です。
また、2017年には、平和祈念式典に参列するとともに、4年に一度、長崎市で開催される【平和首長会議】の総会に参加し、田上・長崎市長、松井・広島市長とも対話の機会を持ちました。
その年は、長崎市の親子記者事業に応募された三鷹市の小学生の親子が、平和祈念に関する新聞記事の取材と執筆に活躍されたこともあり、想いで深い平和祈念の機会となりました。

渡辺所長とは、自治体経営に関する話題でも花が咲きました。
渡辺所長は、30代に、自治体公務員としての将来に向けて【学び直し】を発意され、大学院に入学され、経済学を専攻されたそうです。
お仕事と勉学との両立には多少のご苦労があったそうですが、その時に、三鷹市の自治体経営にも注目してくださったとのことです。
特に、2000年前後に台頭した【ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)】の概念に注目され、私の前の市長から私の在任中にその取組みを進めていたことに関心をもっていただいたようです。
一般に、NPMは①成果志向、②組織内分権、③市場機構の活用、④顧客志向の4つの構成要素を一体的に導入して、行政組織における経営・運営の効率化を志向したもので、国の政府が【行政改革】を標榜する状況下、自治体としての行政改革の在り方も注目されていたのです。

私は、三鷹市の行政改革の系譜を踏まえて、そ【自治基本条例】の策定、【審議会・市民会議】の改革、政策評価を踏まえた【経営白書】の公表、予算編成プロセスの改革、無作為抽出の市民の皆様に市民会議・審議会委員を依頼したりまちづくりディスカッションを依頼するなど、自治体経営改革を志向していました。
そこで、渡辺さんが、三鷹市の取組みにも注目していただき、長崎市において市長を中心に、職員の皆様と自治体経営改革を進めてこられたお話を心強く傾聴しました。
渡辺所長は、昨年4月に東京事務所長に就任される前には、【移住支援】や【世界遺産認定】に関するお仕事に携わっていらしたとのことです。
いずれも、従来の自治体には前例の少ない、まさに創意工夫が求められるお仕事です。

長崎市には、「明治日本の産業革命遺産」と「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が認定されています。
市民本位の自治体経営改革を志向して、学び直しをされた渡辺さんが、こうした新しい自治体行政分野で活躍されたことは、本当に心強いことです。
渡辺さんとの対話の後、お久しぶりに田上前長崎市長と電話でお話ししました。
長崎市の被爆80年に想いを馳せるとともに、市民本位の自治体経営改革の益々の推進を願います。

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