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2019/02/27熊本県宇城市長、宇土市長、美里町長と熊本地震の際に体験された庁舎の重要性について対話

左から元松茂樹・宇土市長、清原、守田憲史・宇城市長、上田泰弘・美里町長(ふじみ衛生組合にて)

 熊本県宇城広域連合の正副連合長が、焼却施設の統合に伴う新施設建設のための研修として、私が管理者をつとめる「ふじみ衛生組合」の可燃ごみ処理施設「クリーンプラザふじみ」を視察に来訪されました。広域連合の連合長は宇城市の森田憲史市長、副連合長は宇土市の元松茂樹市長、同じく上田泰弘・美里町長です。皆様が平成28年(2016年)4月14日21時26分頃に1回目の地震及び16日1時25分頃の大雨警報下の2度目の大きな地震に見舞われた被災地の市長と町長です。

 私から「クリーンプラザふじみ」の整備の経過や管理運営の手法等について説明をしたのち、三人の正副連合長から、熊本地震を被災して体験された事柄についてお話を伺いました。特に、2度にわたる大きな地震により庁舎が被災した熊本県内の5市町の一つである宇土市の元松市長のお話は重たい内容でした。

 宇土市の市庁舎は三鷹市の市庁舎・議場棟と同じく昭和40年竣工の建物でしたが、震度5強と震度6強の地震により庁舎は損壊し立ち入り禁止の対応となりました。宇土市は平成23年の東日本大震災の発生により本庁舎の重要性を再確認し、平成27年に宇土市庁舎建設検討委員会を立ち上げ、平成28年3月に市長から新庁舎整備の方針が示され、市民宛にアンケートを送ろうとしていた、まさにその日に最初の地震が発生し、庁舎が被害を受け、立ち入り禁止にせざるを得なかったとのことです。そして、2回目の地震で本庁舎だけでなく、隣接の耐震度に問題のなかった公共施設も結局は被害を受けて使用が不可能となり、本庁舎裏の駐車場にテントを張って災害対策本部活動をしたとのことです。発災当初は電気が使えても、電話やパソコンがあってもそれを接続するネットワークが確保できず、熊本県や他の自治体との連絡も不十分であったとのことです。その後8月にプレハブの仮設庁舎に移るまでの約4か月間は、体育館において庁舎機能を代替したとのことです。

 宇城市長は、庁舎は竣工後20年ほどであったけれど、地震由来の液状化による影響で、庁舎に微妙な傾きが生じてしまったと話されていました。そして宇城市長も、美里著長も、災害時には障がい児・障がい者が避難所でも自宅でも大変に困難に直面するので、都立の特別支援学校との連携を強化すること、設備や支援の在り方を配慮した福祉避難所の確保が大切であるとの助言をいただきました。

 宇土市長は私に、「宇土市の庁舎は三鷹市庁舎と同じ年に竣工したご縁から敢えて言うが、災害時に庁舎が使用できなくなることは、まさに市民に対する十分な支援が困難になるということで本当に苦労した、日常は市民を災害の被害から守り、被災時には、迅速に適切な災害対策を可能とするような、安全で、持続可能な市庁舎・議場棟を整備するのが市の責務であり、精一杯努力してほしい」と激励されました。

 「クリーンプラザふじみ」を視察された被災地の市長と町長のたくましさに出会い、短時間の対話でしたが多くのご示唆をいただきました。市庁舎が災害時に市民の皆様の復旧・復興・生活再建を担う重要な拠点であること、そして、市民の皆様の生命・身体・財産を守るという使命を果たすためには、平時からの公助の取り組みと備えの充実、自助・共助を支える仕組みづくりがいかに重要であるかを再確認しました。被災地の市長、町長の実体験にもとづくご示唆に感謝します。

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