【10月23日は慶應義塾大学名誉教授・東京工科大学元学長・同大学メディ学部初代学部長の相磯秀夫先生を偲ぶ日】
学校法人片柳学園理事長室より、次のようなご連絡が届きました。
「2025年9月7日(日)に東京工科大学の元学長・元メディア学部長でいらした相磯秀夫先生が老衰のためご逝去されたことについてご報告があり、四十九日である2025年10月24日(金)を【故 相磯秀夫先生を偲ぶ日】と定め、それぞれの立場と思いの中で先生を偲ぶ機会といたします。
静かな形ではございますが、先生への深い敬意と感謝の思いを表す一日としてさせていただきたく存じます。」
私は、今年の6月から片柳学園の評議員を拝命していますが、9月に開かれた片柳学園評議員会議で千葉茂理事長及び香川豊学長とお目にかかった際、相磯先生の逝去を伝えていただきました。
驚いた私に、実はご遺族様が、静かにご家族のみでお見送りされ、追悼していきたいとのお気持ちが届けられていること伺いました。
そこで、「ご遺族様のお気持ちを尊重しつつ、相磯先生にご縁のある方々が、それぞれの場で哀悼の想いを届けるようにできたらいいと思います」とお話ししたことを、千葉理事長には受け止めていただいて、このたび【相磯秀夫先生を偲ぶ日】の呼びかけをいただいたことをありがたく思います。
私は、1999年4月1日、学校法人片柳学園・東京工科大学に新設された【メディア学部】の教授に就任しました。
【メディア学部】の名称は日本で初めてであり、私は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス環境情報学部の初代学部長であり、大学院政策・メディア研究科の初代委員長であり、当時はメディア学部の初代学部長予定者であった相磯秀夫先生のお誘いを受けて、それまで勤務していたルーテル学院大学の清重尚弘学長のご理解を得て、新設学部に最年少の教授として異動したのです。
1999年度に開催された【新施設竣工記念・東京工科大学メディ学部メディア学部開設記念祝賀会】には、地元の八王子市の当時の黒須市長や慶應義塾大学の当時の塾長らが来賓として参加されました。
相磯先生は国家プロジェクト【第五世代コンピュータ・スーパーコンピュータ・情報処理相互運用技術などの推進委員会】委員長などを歴任され、慶應義塾大学名誉教授で日本のインターネット先駆者の村井純先生、同じく慶應義塾大学名誉教授で国立研究開発法人情報通信研究機構理事長の徳田秀幸先生、東京大学名誉教授でTRONなどのコンピュータ・アーキテクトの先駆者坂村健先生はじめ、多くの有数の研究者を輩出されています。
式典の時の写真には、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに続いて、日本初のメディア学部を新設された相磯先生の笑顔が溢れています。(写真)
東京工科大学は、1986年に工学部のみの単科大学として開学し、1993年に大学院修士課程、1995年に大学院博士後期課程を設置して、1999年にを開設しました
この学部は、いわゆる学際的にメディアを研究する学部で、メディアコンテンツコース、メディア技術コース、メディア社会コースがあり、私は【メディア学概論】【メディア産業論】【メディ広報論】【研究会】【卒業研究】などを担当していました。
私は2001年度にはメディア学部長補佐、2002年4月からは相磯先生が学長に就任される後を受けて、第2代メディア学部長を務め、学部の運営のみならず、大学の新学部設置等の将来構想の検討に参画しました。
そして、その端緒としてメディア研究の大学院を開設する設置認可を学部長として申請し、審査の結果、文部科学省から2003年4月の開設の許可をいただきました。
ところが、大変に突然のことですが、2002年の年末に当時の安田養次郎三鷹市長より次期三鷹市長との後継指名を受けて、逡巡と熟慮の結果、参加と協働の取組みで出会っていた多くの市民の皆様の応援を得て立候補を決断しました。
そこで、メディ学部長として最初の卒業生に卒業証書を手渡すべきところ、三鷹市民の皆様には退路を断って立候補すべきと判断して、2003年2月に退職しました。
予期せぬ退職でしたので、大学にも学生にも大変にご迷惑をおかけしました。
ところが、その決断のご相談にのっていただいていた当時の片柳学園理事長の故・片柳鴻先生も、副理事長で現在は理事長の千葉茂先生も、学長の相磯秀夫先生も、寛大に受け止めていただき、むしろ応援していただきました。
その時の激励の言葉は胸に刻まれています。
【現在の市長や多くの市民の皆様から三鷹市長にと推薦されるということは、あなたがこれまで大学教員として市民の皆様と協働と市民参加の取組みを誠実に行ってきたことの証です。多くの大学教員が地域貢献をしていますが、すべての大学教員が市長になることを求められるわけではありません。大学にとってはあなたに新設学部をさらに盛り立ててほしいところですが、市長に挑戦するチャンスは誰にも与えられるものではないので、しっかり誠実に挑戦してほしいです】と言ってくださったのです。
そこで、私は、真剣に挑戦し、厳しい選挙を経て、2003年4月の選挙で初当選しました。
そして、当選してしばらくして、突然に片柳理事長と相磯学長は、大きな花束を抱えて三鷹市役所に祝福に駆けつけてくださいました。(写真)
しかも、相磯学長は、市長就任後の9月に検討をお願いした【三鷹ネットワーク大学・大学院検討会】にもその趣旨に賛同されて、委員として参画してくださり、その結果、最初の協定書を交わしてくださり、学長在任中には理事を務めてくださいました。
協定書の調印式の写真には、初代理事長の清成忠男・法政大学学長と相磯学長は並ばれています。そして、初代設置者の私のお隣には、現理事長の当時の国際基督教大学学長の鈴木典比古先生が並ばれています。(写真)
現在、東京工科大学には、工学部、メディア学部の他に、コンピュータサイエンス学部、応用生物学部、デザイン学部、医療保健学部とそれぞれの大学院が設置されており、八王子キャンパスと蒲田キャンパスで多くの学生が学んでいます。
10月23日(木)の【相磯先生を偲ぶ日】には、多くの相磯先生とご縁のある方々と感謝の想いをひとつに、ご一緒に追悼したいと思います。

