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【東京都立富士高校】の同期会での多彩な同期生との再会

【東京都立富士高校】の同期会での多彩な同期生との再会

私は、東京都立富士高校を卒業しました。
秋たけなわの日曜日、その同期会が渋谷区内の会場で開催され、参加しました。
 
実は、私にとって、都立富士高校を卒業したことは、中学3年生の時の、自分自身としては大きな選択と決断による経歴です。
私は、当時は学年が1クラスのみの私立の女子中学校に通っていました。
系列校の高校がありましたので、そのまま進学する友人がほとんどである中、私は中学3年生の時に、私立以外の学校に進学して視野を広めたいと思い、悩んでいました。
そうした時、都立高校が受験制度を変更して、受験科目はそれまでの9科目から3科目(国語・数学・英語)に大幅に減少することを知りました。
ただし、東京都が設定した複数の高校で構成される【学校群】を選び、合格すると、その学校群の中のいずれかに振り分けられるということで、必ずしも自分自身の志望校に進学できないという【学校群制度】でした。
私は、3科目であれば、中学3年生までまったく受験勉強をしていなかった私でも受験可能と考えて、都立高校への受験を決意し、私立中学校の担任と校長に相談しました。
校長は、小中高校の一貫校を離れることを残念と言ってくださいましたが、不合格の場合は戻れないことを了解することで、都立高校への挑戦を認めてくださいました。

私は三鷹市の自宅から、当時はバスの終点になっていた杉並区の【都立西高校】の進学を決意しました。
幸い合格しましたが、進学先は都立西高校ではなく、学校群を構成していた都立富士高校への入学が許可されました。
都立富士高校は、東京府立第五高等女学校を前身としていることから、定員は女子が多く、1クラス50名で9クラスあり、1,2年生の時は、女子が30名、男子が20名のクラス構成でした。
しかも、高校3年生の時は進学志望によってクラス分けがなされたので、【文科系】進学を志望した私は、クラス全員が女子のA組とB組のうち、A組となりました。
そこで、私立女子中学校から、共学の都立高校に進学した私でしたが、最終学年は、結果として女子のみのクラスになるという、不思議な経験をしました。
同じ3年A組の同級生には劇作家・演出家の永井愛さんがいます。
この日は【狩場の悲劇】を公演中のため欠席されましたが、高校時代に演劇部に所属されていて、当時から輝いていました。

そうした、私が参加したこの日の同期会には、90名あまりの同期生が全国から集まりました。
最初に出会ったのは、1年C組の同級生だった丹田君と西田君です。
この2人は。私立女子中学校から進学して誰一人同じ中学からの同期生がいない私を、折々に励まし、男女共学の高校生活に慣れることを促してくれました。
西田君とは2年B組でも同級生となり、高校生活を支えてくれました。
とはいえ、卒業後は長い間会えずにいましたので、10年ほど前の同期会から、また数年に1度の対話の機会を持ってきました。

乾杯の後、各クラスごとに記念写真を撮影しましたが、女子クラスのA組B組は参加者が少なかったので、合同の写真撮影をなりました。
その後、再会したのは、2年B組で同級生だった大野恒太郎君です。
高校の同級生なので、つい「君」で呼んでしまいますが、大野君は2014年から2016年まで【検事総長】をつとめられた方です。
大野君は、高校卒業して大学在学中に司法試験に合格され検察官になられました。
進学後も交友関係は続き、結婚式にも参列させていただいたり、ご自宅で夫人にお食事をご馳走になったりする機会をもっていました。
そして、私が2002年2月に発足した国の【司法制度改革推進本部】の【裁判員制度・刑事検討会】の委員を務めた際、司法制度改革本部の事務局次長であったのが大野君でした。
この会議では、私が東京工科大学メディ学部教授から三鷹市長に就任後も委員を継続し、2004年7月まで32回の会議が実施されました。
この日、大野君は、「裁判員制度が定着しつつある中、清原さんが、座長案では【裁判官3人・裁判員4人】、日弁連の提案が【裁判官1人、裁判員11人】である中、【裁判官3人・裁判員6人】を提案して、結果として、その人数での制度が創設され、今に至るまで【国民の司法参加】として実現してきていることは、よかったですよ。少数意見を言うことは難しい中で、頑張って提案してくれましたね」と言ってくれました。
とても光栄で、嬉しかったです。
大野君は、現在弁護士として活躍するとともに、【公益財団法人国際民商事法センター】の理事長として、アジア諸国に対する法制度の整備、紛争解決手段の確立、法曹人材の育成等に、民間の立場からボランティアで貢献されています。

また、大野君と親しかったことで、クラスは一緒のことはなかったのですが知り合った大木一史君は、NHKで「おしん」などの演出をした後、TBSでも多くのドラマを演出し、今年は熊本県の水害に立ち向かう市民を描いた映画【囁きの河】を監督され、私も鑑賞しました。
この日は、大野君、大木君という【大】の字が付く、個性豊かな友人と再会できてうれしかったです。

そして、卒業後、ほとんど初めて再会したのが、2年B組で一緒に【ホームルーム委員】をつとめた須藤純正君です。
須藤君は、大野君と同様に検察官をつとめたのち、現在は弁護士として活動を継続しています。
2年B組の担任は英語の武藤先生で、個性豊かで厳しい先生でした。
私のことは「きよはらけいこ」と呼び、須藤君のことは【すどうじゅんせい・すみまさ】と呼ぶように、生徒の姓名をすべて呼びながら指名する先生でした。
そして、【ホームルーム委員】の私たちにもいろいろな指示があり、私は3年C組でも担任が武藤先生でしたので、2年間にわたり毎朝の出席をとる係をつとめました。
おかげさまで、高校3年間は皆勤して、卒業式には【皆勤賞】をいただきました。

同期会は、あっという間に2時間が過ぎて、高校はたった3年間であったにも関わらず、多彩な同期生と、卒業後数十年が過ぎても、お互いに会話が弾む友情が育まれたことを感慨深く思いました。
3年A組の幹事の斉藤さん、堀内さんはじめ、各クラスの幹事の皆様の企画と連絡等のご尽力があっての同期会の開催ですので、幹事の皆様に、深く感謝して会場を後にしました。
なお、2009年に付属中学校が設置され、都立富士高校としては、2021年2月から高校募集を停止しています。

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