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『ジブリとアニメージュ展』の内覧会を訪問しました。

『ジブリとアニメージュ展』の内覧会を訪問しました。

来年1月3日から松屋銀座で開催の『ジブリとアニメージュ展』の内覧会に招待されて訪問しました。
冒頭に、『となりのトトロ』の大きなネコバスの顔の前で、本展の監修者である『アニメージュ』の編集部勤務経験があり、現在は三鷹の森ジブリ美術館のシニアアドバイザーを務める高橋望さんが本展の趣旨につい説明しました。
高橋さんは、本展は鈴木敏夫プロデューサーがアニメーションの専門誌として徳間書店が刊行した『アニメージュ』の編集者として活躍していた1970年代末から1980年代に焦点を当てることが、今の多様に隆盛しているアニメーション文化の原点を知り、未来を構想することにつながるはずだと語ります。
高橋さんは1983年に『アニメージュ』の編集部に加わった方で、当時は鈴木さんが副編集長で、『風の谷のナウシカ』の連載が始まって1年くらいで、映画化の話が始まったくらいの頃のようですから、まさに、ジブリのアニメーション映画の誕生のプロセスの生き証人の1人でもあります。

『アニメージュ』の初代編集長の尾形英夫さん(1933年〜2007年)を紹介する展示には、次の発言が紹介されています。

宮﨑駿監督:
「尾形さんの思い込みがぼくの前に道をひらいてくれました。ナウシカからスタジオジブリの設立へと、いつも尾形さんの非常識な決断と行動があったのです。」(尾形英夫『あの旗を撃て』寄稿文より)

鈴木敏夫プロデューサー:
「アニメージュの創刊も、『ナウシカ』の映画化も、すべては尾形さんがいいだしたこと。誰もが無茶だと思うことでも、想像力の不足で待ち構える困難に蓋をし、「やろう、やろう」と言い続ける。でも、僕らが実務に励み始めると、すでに関心はよそに移っていて、次のアイデアを話している、まさに「火付け役」です。でも、プロデューサーには、そういう資質が必要なんですよね。振り返ってみると、いちばん近くにプロデューサーのお手本がいたんです。」(『ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI』より)
そして、その尾形さんが、鈴木さんに「敏夫くん、ぜんぶ、まかせた」と言ったことも展示されています。
こうして、『アニメージュ』の第2代編集長になった鈴木さんが進めた仕事の改革である『取材対応マニュアル』『編集作業の効率化』の展示の前では、出版やアニメーション映画の関係者と思われる多くの人が足を止めていました。

鈴木さんは当時、雑誌の編集と、高畑勲監督・宮﨑駿監督の映画のプロデューサーの二役をこなしていたからこその、仕事の効率化の推進だったのだと推察します。
順路の後半の展示には撮影可能コーナーが多く設定されていて、自分自身が思わずアニメーション映画の一コマや雑誌『アニメージュ』の表紙の中に入り込んだ気持ちになって、ワクワクした時間を過ごしました。

最後のグッズコーナーでは来年を占う「トトロのおみくじ」と「天空の城ラピュタ」のネックレスを購入しました。
これは、開会の挨拶で、高橋さんが、「この展覧会を全国各所で開催したいので、そのためにもできるだけジブリグッズを購入してください」と言われた熱意に応えたものでもあり、三鷹市長在任中はもちろん、その前の大学教員時代に、三鷹の森ジブリ美術館を運営する「徳間記念アニメーション文化財団」理事を務めていたというご縁を歳末に改めて感謝する気持ちからでもあります。
1月3日から23日まで開催予定の本展覧会は、感染症対策と混雑緩和のためと思いますが「日時指定制」ですので、チケットを予約して、ぜひ、2023年の新年を『アニメージュとジブリ展』でお楽しみください。

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