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武蔵野シンフォニックブラスオーケストラ「創立30周年記念大沢ありがとうコンサート」を鑑賞しました

武蔵野シンフォニックブラスオーケストラ「創立30周年記念大沢ありがとうコンサート」を鑑賞しました

10月8日(日)午後に開催の武蔵野シンフォニック・ブラス・オーケストラ「創立30周年記念大沢ありがとうコンサート」にご案内をいただき、参加しました。
会場は大沢コミュニティ・センター体育館です。
武蔵野シンフォニック・ブラス・オーケストラは平成元(1989)年に三鷹市立第七中学校吹奏楽部のOBバンドとして発足しました。
30周年を迎えたのは令和元(1999)年でしたが、10月に予定されていた30周年記念コンサートの日にはあいにく台風が襲来し、会場として予定していた大沢コミュニティ・センター体育館が避難所となるほどの豪雨だったため、開催することができませんでした。
その後はコロナ禍に入ってしまい、ようやくこの日に「創立30周年記念コンサート」を開くことができたのです。
そこで、団員の皆様が楽しみにされていただけでなく、応援する皆様のお気持ちも同じで、会場は早くから用意した椅子では足りずに、後からたくさん増やすほどの盛況ぶりでした。

コンサートは初代団長で、記念演奏会の実行委員長・常任指揮者の菅沼将晴さんの挨拶ではじまり、演奏する曲の紹介など滑らかな司会で進みました。
第1部は金管楽器に加えて、車掌の笛や、機関車の音などのパーカッションが素晴らしいP.スパーク作曲「オリエント急行」です。
見事な演奏で「創立30周年記念列車」が出発した後、岩田大沢住民協議会会長、土屋副市長、伊藤市議会議長の祝辞がありました。
皆様は異口同音に、ようやく30周年記念コンサートが開催されたことへの祝福と、第七中学校がある大沢の地元をはじめ、三鷹市内の各所で活躍されていることを称賛されました。
2曲目はJ.バーンズ作曲「詩的間奏曲」で、緩やかな旋律が心を和ませます。
3曲目はJ.シベリウス作曲「フィンランディア」です。暗い印象で始まる曲がやがて激しい戦いを経て勝利と平和へと結びつく後半の穏やかな旋律が胸を打ちました。

休憩中も、会場では日頃の活動を紹介する写真を見たり、語り合う参加者の和やかな交流がみられました。
後半、団員の皆様は赤いTシャツに着替えて登場です。
会場は益々聴衆が増えて、立って聞いている人もいます。
1曲目はA.メンケン作曲、P.ジェニングス編曲の映画「アラジン」よりのメドレー、2曲目はA.モリコーネ・E.モリコーネ作曲、大島ミチル編曲の映画「ニュー・シネマ・パラダイス」よりのメドレーです。いずれも、映画のシーンを思い出しながら聴ける曲ばかりで、映像を支える音楽の力を再確認しました。
3曲目は弾厚作(加山雄三)作曲・磯崎敦博編曲の「ジャパニーズ・グラフィティⅣ」で、「君といつまでも」「お嫁においで」「サライ」のメドレーで、会場にも少し歌声が聞こえていたように思います。

3曲目のあとで、3曲目で見事なクラリネットのソロ演奏を披露された団長の小松優祐さんが挨拶をされました。小松さんの言葉には、何よりも思いがけない台風やコロナ禍で開催が遅れた創立30周年記念コンサートの日をようやく迎えることができた喜びと、これまでの歩みを進めてくることができた感慨が笑顔と共に溢れています。
小松さんの挨拶の後で、幸いにも前市長として16年間の在任中、さまざまな場でご一緒してきた私にも祝辞をとご紹介がありました。
私は、まずは創立30周年、実質創立34周年を迎えた50名余の団員の皆様にお祝いを申しました。
そして、市議会議長に加えて粕谷副議長はじめ市議会議員の皆様、中村都議会議員が参加されていることをご紹介し、会場に参加されている元団員、将来の団員、ご家族や応援されている皆様とご一緒に祝福できる幸いに感謝すると申しました。
そして、私が2003年に市長に就任した時、初めて、若いメンバーを中心とする本オーケストラの存在を知った私は、成人を祝福するつどい、市民駅伝はじめ、三鷹市が主催あるいは共催する行事に音楽の演奏で参加していただく機会を増やしてお願いしてきたことに応えていただいたことに感謝しました。
そして、名称に「武蔵野」とあるところを「三鷹」に代えていただけないかと可能性を伺ったところ、「武蔵野台地にしっかりと根差したオーケストラとして、三鷹市大沢が発祥とはいえ、そこに留まらず、幅広い地域で、未来に向けて発展していきたい」とのお答えを聴いたことを紹介しました。
何よりも「コミュニティ・オーケストラ」として、発祥の地「大沢コミュニティ・センター」で創立30周年記念コンサートができたことの意義を噛みしめつつ、当初は10代、20代中心だったところ、今では10代から50代までの多世代のオーケストラとして多世代交流の特徴を持ちつつ、これからも未来に向けたご発展を願っていると申しました。

最後の曲は宮沢和史作曲・小島里美編曲の「風になりたい」です。曲名通り、会場には、さわやかな金管とパーカッションの風が吹き抜けました。
演奏が終わると、会場の拍手は鳴りやむことはなく、そこでアンコールも2曲聴くことができました。
終演後、声をかけてくださったのは、常任指揮者の菅沼さんの夫人の直美さんと長女の奏美さんです。直美さんはホルン、奏美さんは団員としてテナーサキソフォンを演奏しています。
創立30周年を迎えるということは、親子2世代で演奏ができるという素晴らしさがあることなのです。
思わず菅沼さんのご家族と記念写真を撮りました。
武蔵野シンフォニック・ブラス・オーケストラが、今後、40年、50年と、地域に根差した演奏活動を継続されていきますことを信じながら、願いながら、会場を後にしました。

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