【井の頭弁財天・大盛寺の12年に1度の巳年ご開帳]
都立井の頭公園の三鷹市部分にある【井の頭弁財天】のご本尊の弁財天像は、普段は公開されていませんが、12年に1度の巳年に開帳されます。
私はちょうど12年前の2013年、初めてご開帳で拝観しました。
弁財天像は八本の手を持った「八臂」の坐像で、それぞれの手には刀や弓矢、矛などの武器を持っていらっしゃいます。
それにも関わらず、お顔は白く美しく、ふくよかです。
撮影は禁止されているので、その麗しさと威厳あるお姿についてを言葉では上手に表現できませんが、可能ならもう一度拝観したいと強く思いました。
その時はたしか1週間ぐらいご開帳の期間がありましたが、今年は2日間だけ、8時から16時までの公開ということです。
きっと混雑になると予想されたので、初日の4月12日(土)の朝7時半ごろに到着すると、すでに50メートルほどの行列ができていました。
ちょうど8時に特別拝観が始まりました。
大盛寺の林宗應住職が祈願の文字を書いた木柱に付けられている、ご本尊につながっていると言われる緑・紫・赤・白・青などの布を握って、まず拝礼しました。
その後、手水舎で手を清めて、土足のままで本堂に入ります。
すると、本堂の中心に美しいご本尊・弁天像があります。
再会に感謝して、心を込めて祈りました。
像の前には、「拍手はしないで、静かに、弁財天のご真言である『オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ』と唱えて祈るように」という趣旨の掲示がしてありましたので、そのように心の中で唱えました。
そして、本堂を出て、ご開帳記念の御朱印を求めた直後に、境内で警戒されている制服の警察官にご挨拶しました。
「前三鷹市長の清原です。三鷹警察署の警備課の方ですか?」
「はい、そうです。実は警察署員には異動があるので、12年前の経験のある者が現在の署内には1人もいませんので、慎重に警備しています。」
「12年前は開催期間が長期でしたが、今年は2日間だけなので集中すると思います。どうぞ、くれぐれもよろしくお願い致します。」
「承知致しました。しっかり事前調査して臨んでいますのでご安心ください。」
このような会話をしましたが、地元警察の皆様は頼もしい限りです。
出口を出ると、すぐに、弁財天を別当として管理している明静院大盛寺の林宗應・住職にお目にかかりました。
ご住職とは、市長在任中に井の頭公園関係等の案件について、何度かお目にかかりお話ししたことがあります。
ご多用中の巳年ご開帳初日に、お久しぶりに再会できて光栄でした。
その後、弁財天前の階段を登って、大盛寺のまさに門前にお住まいの岩崎菊男さんを訪問しました。
岩崎さんは地元の井の頭町会の元会長で、井の頭住民協議会の幹部を歴任されるとともに、お若い時には消防団で活躍され、つい最近まで「井の頭鼓響」という多世代の和太鼓チームの指導者であり代表を務められていました。
昭和15年生まれの岩﨑さんから、次のようなお話をお聞きしました。
井の頭弁財天は、江戸時代よりかなり前に創建されました。
弁財天は水の神で、神田上水源を守護し、音楽・芸能の守護神でもあるとされたことから、歌舞伎役者や商人を含む幅広い江戸町人から信仰されました。
弁財天は七福神の1つとされていることから、神社として位置付けられる傾向がありますが、明治時代の神仏習合の際に、正式に寺院として位置付けられ、大盛寺の管理のもとに置かれることになり、現在まで維持され、愛されているとのことでした。
貴重なお話を聞いて、大盛寺の門前に行くと、井の頭弁財天の榎本照秀住職とお目にかかり、お祝いを申し上げました。
すると、「今は瞬間的に行列がなくなっているので、ぜひ2回目の拝観をどうぞ」と言っていただきました。
そこで、すぐに階段を降りて、2回目の拝観をさせていただきました。
今回のご開帳では、1日に2回も拝観させていただき、本当に体全体的で感動することができました。
快晴の青空のもと、晴れやかに12年に1度のご開帳を迎えられた井の頭弁財天、それを護ってこられた大盛寺の林宗應住職、井の頭弁財天の榎本照秀住職、岩崎さんはじめこのご開帳を支えている多くの檀家の皆様とお目にかかることができたこと、そのことに井の頭弁財天のご利益を感じて、手を合わせました。


