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作家 津村節子さんとの出会い(その1)

作家 津村節子さんとの出会い(その1)

4月初旬のある日、私はお久しぶりに、三鷹市在住の作家である津村節子さんを訪問し、ご長男の吉村司さんご夫婦に同席していただきました。

津村さんは1965年『玩具』で芥川賞を受賞され、1990年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞を受賞されるなど、多くの文学作品を三鷹の地から生み出していらっしゃいます。
そして2003年、長年にわたる作家としての業績で恩賜賞・日本芸術院賞を受賞されると同時に日本芸術院会員となられました。

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私が津村さんと初めてお目にかかりましたのは、平成18(2006)年7月に夫である吉村昭さんが逝去され、ご自宅にお悔やみに伺い、吉村昭さんあての「特別感謝状」を受け取っていただいた時です。
吉村昭さんは筑摩書房が主催した文学の新人賞である「太宰治賞」の第2回目の受賞者であり、1回目は受賞者がいなかったことから事実上最初の「太宰治賞」を受賞された作家です。
その後、平成11(1999)年度に三鷹市が筑摩書房と復活した「太宰治賞」においては、吉村昭さんには選考委員を引き受けていただいていました。

私が市長に就任した平成15(2003)年度の太宰治賞の選考で吉村昭さんが選考委員を辞任されることになり、その年度に筑摩書房との共催で開始した「文学講演会」の最初の講師は吉村昭さんにお願いした経緯があります。こうした経緯から、三鷹市の「文学のまちづくり」とのご縁は津村さんの夫である吉村昭さんから始まったことになります。
2006年、吉村昭さんのご逝去に悲しみに包まれていた津村さんでしたが、私の弔問を受け入れてくださり、その後、吉村さんが出生された荒川区で開催された「吉村昭さんを送る会」にもお招きいただき参加させていただき、その後、ご縁が深まりました。

私が三鷹市長在任中の平成22(2010)年は昭和25年に三鷹町から三鷹市になって以来「三鷹市制施行60周年」の記念の年でした。
そこで、11月3日の市制施行日には、快晴のもと、三鷹市公会堂で記念式典を挙行し、津村節子さんには、太宰治のご長女である津島園子さんとともに、三鷹市ゆかりの文学のまちづくりにおける功労者として「特別感謝状」を贈呈させていただきました。
そして、11月20日から12月19日までは、市制施行60周年記念事業として17人の文学者を特集した 「三鷹ゆかりの文学者たち」 展を三鷹市美術ギャラリーで開催しました。
この文学展では、津村節子さんの原稿などの資料と、夫である故・吉村昭さんが遺された貴重な資料を展示しました。

実は津村節子さんと私は高校の同窓です。津村さんは東京府立第五高等女学校に通学されており、私はその後継の「東京都立富士高校」の出身です。そこで、津村さんとお目にかかる際にはいつも、「清原さんは私の後輩なのよ」とご家族やその場にいらした方に紹介してくださいます。先日お目にかかった際にも、息子さんご夫妻に「清原さんは後輩よ」といつものように紹介してくださいました。

市制施行60周年記念事業「三鷹ゆかりの文学者たち」 展に展示されている津村さんの高校時代の写真から、制服が当時も同じデザインのエンジ色のスカーフのセーラー服であったことを確認して光栄に思いました。
その時の津村さんとの出会いは、『広報みたか』2010年12月5日号の市長のコラムで紹介しています。

津村さんは昭和3(1928)年6月5日生まれで、まもなく93歳になられます。これからも、益々お元気に、小説を執筆されることを願っています。

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