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三鷹市長在任中の「市長と語り合う会」事業について。

三鷹市長在任中の「市長と語り合う会」事業について。

私は、1977年、20代の大学院生の時に、三鷹市が当時の法律に基づいて市議会の議決を経て初めて制定された『三鷹市基本構想』を基礎とした『第1次三鷹市基本計画』を策定する際に設置された市民参加組織「まちづくり市民会議」に委員として指名されました。
学生時代に市民の意見が行政計画に反映される経験をした事が契機となり、その後大学教員になってからは、行政から審議会や研究会の委員を依頼されたら可能な限りお引き受けして、国・都道府県・市区町村の行政に参加と協働の取り組みをしてきました。
そして、『第3次三鷹市基本計画』の策定時には、市民が作成した計画案を市が最大限反映するというパートナーシップ協定を実現する為に1999年に組織された、市と市民の協働を進める、全員公募市民による「みたか市民プラン21会議」の共同代表を務めました。

このように、学生時代から大学教員の時期を通して自治体行政における「市民参加と協働」を体験してきた私は、平成15(2003)年に三鷹市長に就任後は、「市民の代表」として「行政の責任」を担う過程で、「今を生きる市民の声」を反映し続けたいと考えて、毎回テーマを決めて公募した10人程度の市民と「市長と語り合う会」という公聴の事業を継続してきました。
二元代表制の自治体では、議員の皆様が市民の皆様の声を聴き、市議会本会議での「市政に関する一般質問」「予算案・決算案等に関する代表質疑」などを通じて市民の声を行政に反映するための努力をされています。
そこで、市長も、議員の皆様が提起する市民視点のご意見やご提案を、市民代表として実感を持って受け止め、反映できるように、市民の皆様の声を直接聞く努力をすべきであると考えて、本事業を続けました。
市長を退任するまで、87回を重ねています。

会議は申し込まれた傍聴者を受け入れる公開で行い、在任中は参加者名は匿名にしてすべての議事録を三鷹市のホームページで公表していました。
私は2019年4月末に市長を退任しましたので、現在は私の市長として最終年度の平成30(2018)年度の議事録のみホームページで公表されています。

この年度には、中学2年生、育じい(孫を育てている祖父)、新成人と対話しましたが、その議事録には参加された市民の皆様の生の声が残されています。
私は市長在任中は、日々、いろいろな事業を通して、市民の皆様と直接出会い、お話をして、そのご意見やご提案を政策に反映するように努めてきました。
それとともに、各回約2時間という短い時間ではありましたが、少人数の市民の皆様と対話した「市長と語り合う会」での濃密な対話も、市民の皆様の日常生活に基づいた実感と問題提起を傾聴するかけがえのないひとときでした。

この会での市民の皆様との対話を大きな契機として開始したり推進したりした事業には、登録されたパソコンやスマートフォンに治安情報を伝える「安全安心メール」事業や、助産師・保健師による「妊婦全員面接」事業、民間企業との協働による「見守りネットワーク」事業など多くの事業があります。
コロナ禍の今、自治体の首長が、こうした市民の皆様との直接的な対話の事業を行うことは難しくなっていると思いますので、それを任期中に継続できた私は大変に幸いであったとの想いを噛み締めています。

全国の市区町村長におかれては、現在の困難な状況では。住民の皆様の生の声を聴く機会を得ることは並大抵の努力で実現できることではないと思いますので、皆様の住民本位の行政実現ヘのご努力を心から応援させていただきます。
私が実施した「市長と語り合う会」の議事録は以下のURLに掲載されています。

https://www.city.mitaka.lg.jp/c_service/079/079845.html

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