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「三鷹跨線橋の記憶と記録を残そうイベント(写真撮影会:株式会社文伸主催)」に家族と参加しました

「三鷹跨線橋の記憶と記録を残そうイベント(写真撮影会:株式会社文伸主催)」に家族と参加しました

1月20日(土)「三鷹跨線橋の記憶と記録を残すプロジェクト」の一環として開催された「三鷹跨線橋の記憶と記録を残そうイベント(写真撮影会)」に家族と一緒に参加しました。
このプロジェクトは、跨線橋の地元の三鷹市上連雀1丁目に拠点を構える株式会社文伸が進めている取組みです。
参加者は跨線橋への想いをメッセージに書いて、写真を撮ってもらいます。
その写真などは、今後、株式会社文伸のオフィシャルブログや今後発行される記念図書に掲載される予定です。

さて、この跨線橋は、JR東日本三鷹駅西側を約400メートル進んだ線路にかかる鉄橋です。
正式名称は「三鷹跨線人道橋」といいます。
「人道橋」の名前の通り、人が線路をまたいで通行するために設置された橋であり、高さは約5メートルある橋です。
そこで、近隣に住む市民の皆様にとって欠かせない橋であるだけでなく、鉄道を愛する人にとっては格別の写真撮影のスポットでした。
三鷹で家族と暮らし、多くの作品を生み出した作家の太宰治も愛した橋で、跨線橋で撮影された写真はきわめて有名です。
とはいえ、この跨線橋は95年前の昭和4年(1929年)に当時の鉄道省が三鷹に電車庫を建設した際に整備したものですから、老朽化は否めませんでした。

私が三鷹市長在任中に、跨線橋の老朽化についてJR東日本との間で話題になることもありましたが、私は当時、鉄道周辺に住まう市民にとって重要なライフラインの1つであり、太宰治ゆかりの文化財としても重要性が高いことから、利用者本位の視点に立って可能な限り保全し活用する方向性での検討を求めてきました。
私は2019年4月に退任しましたが、JR東日本では2021年9月に、保全には多額の整備費がかかることから、三鷹市などがその費用を出すならともかく、JR東日本としては跨線橋を維持することは困難と判断し撤去することを発表しました。実に残念なことです。

ついに撤去が決まったというニュースにいち早く反応したのが、跨線橋から徒歩1分ほどの場所に本社を置く株式会社文伸の社長である川井伸夫さんでした。
株式会社文伸では、これまでも井の頭公園の100周年記念の際に「井の頭公園検定」を企画実践する組織のメンバーをつとめたり、100周年記念書籍を制作・出版するなどの取組みをされてきました。
そこで、跨線橋撤去の方針が決まった際には直ちに「地域の歴史的・文化的財産である三鷹跨線橋の記憶と記録を残す書籍を発行する」という宣言を発表しました。
そして、2024年、いよいよ撤去工事が目前に迫ったことを受けて、川井さんは「三鷹跨線橋の記憶と記録を残そうプロジェクト」を発起されたのです。
撮影会の日の午前中、晴れ男の川井さんと晴れ女の私が揃っているのに、小雨が落ちてきました。
二人で顔を見合わせながら、「跨線橋が泣いているのですね」とつぶやきました。

私は「太宰治がいきたまち三鷹 跨線橋永遠に」とメッセージを書きました。
市長を退任後のJR東日本の撤去の決定とはいえ、この跨線橋を残すことに貢献できなかった悔しさを噛みしめながら、まもなく取り壊される跨線橋を前に記念の写真を撮影していただきました。

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