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慶應義塾大学115三田会(1974年卒)大同窓会に参加しました

慶應義塾大学115三田会(1974年卒)大同窓会に参加しました

先にご報告しましたように、私の母校である慶應義塾大学では、卒業後50年の卒業生(塾員)を、「入学式」及び「招待会」に招待する事業があり、1974年に法学部政治学科を卒業した私も参加しました。
そして、慶應義塾大学115三田会の会長・常任幹事はじめ各学部学科の委員で構成される「卒業50年記念事業実行委員会」による「大同窓会」が前日の3月31日の午後に、新横浜プリンスホテルの会場で開催されました。
この「大同窓会」は、この間のコロナ禍で大学による「招待会」の開催が見送られていたこともあり、ぜひ、同窓生が懇談する機会をということで企画されたとのことです。
事前に参加を届け出ていたのは約600名ということでした。
大同窓会は塾旗の入場、塾歌(慶應義塾の校歌)の斉唱の後で、塾長からの音声メッセージが届きました。
そして、慶應義塾大学115三田会(1974年卒)会長の落合正行さんが会の趣旨を挨拶しました。数千人の卒業生の想いをまとめて事業を実施してくださる実行委員の皆様には感謝の気持ちしかありません。

この日、入学時の政治学科1年L組の私の同級生で、英語やフランス語、必修の政治学・社会学・法学をはじめ多くの科目を一緒に履修し、大学卒業後に進学した大学院法学研究科修士課程政治学専攻でも同期であった参議院議員で、現在は厚生労働大臣をおつとめの武見敬三さんが参加されました。
4月1日(月)の入学式には公務で出席できない武見大臣は、3月31日は日曜日であったこともあり、急きょ、「大同窓会」に参加されました。
そして、乾杯のご発声をされることになりました。
武見大臣は、「今日は急な参加で、警備の必要が生じて、皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ない。私は今、大臣を拝命して人生で一番多忙な日々を過ごしていますが、こうして卒業後50年を過ぎて、学友たちと交流する幸せをかみしめています。これからも、家族や友人を大切にしつつ、お互いに何よりも元気に過ごしましょう」といった趣旨で、乾杯のご発声をされました。
その後、短時間でしたが、L組のクラスメートをはじめ、多くの学友たちと交流されました。

当日、会場で、私は2年生までに所属していた広告学研究会のメンバーや、政治学科L組のメンバーと同じテーブルを囲んで懇談し、そのメンバーの紹介で、他の同期生と懇談し、新たな出会いがありました。
私は市長を16年間務めているときに、公務最優先で私的な交際を控えていのたこともあり、一部の女性の学友を除いて大学時代の友人とはほとんど出会っていませでした。
そこで、25年前に「卒業式」に招待されたときに出会って以来の人もいましたが、ほとんどの人とは卒業式以来の50年ぶりとなります。
大同窓会では、そんな私たちを励ますように、現役の応援指導部のメンバーがエールを送り、『若き血』をはじめとする応援歌を披露してくれました。
そして、歓談のあとで、同期の応援指導部のメンバーの歌唱指導によってカレッジソングを肩を組みながら歌いました。

実はその日、昨年12月に懇談した広告学研究会の同期生の1人が、病気のために1月に急逝したことを知りました。
それを知らせてくれた学友と、彼のことを偲びつつ、50年の時を超えて、それぞれの経験を重ねつつ、今日ここに元気に再会できたことを喜び合おうと語り合いました。
そして、当日出会った多くの学友たちと、改めて連絡先を交換し合い、今後の長寿と再会の約束を交わし合いました。
600人規模の文字通りの「大同窓会」でしたが、あちらこちらで旧交を温め合うことを通して、参加者の元気が溢れているように感じました。

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