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慶應義塾大学卒業50年を迎えて「入学式」及び「卒業50年塾員招待会」に招待されました

慶應義塾大学卒業50年を迎えて「入学式」及び「卒業50年塾員招待会」に招待されました

私の母校の慶應義塾大学は、卒業後の25年には卒業式への招待があり、卒業後50年の卒業生(塾員)には入学式への招待があります。
私は法学部政治学科をちょうど50年前の1974年に卒業した「115三田会」に所属していることから、4月1日に実施された「2024年度慶應義塾大学入学式」に招待されました。
会場は2020年3月に2年半にわたる工事を経て完成した「新・日吉記念館」です。

私が入学式に参加し、卒業式に参加したのは旧記念館で、1959年以降の約60年間にわたり新入生を迎え、卒業生を送り出す舞台でした。
この日、東急東横線の日吉駅を降りると、多くの新入生と保護者の方が、今日は特別に通れる車道にまであふれています。
記念館まで歩く途中で、ご両親とご一緒に写真を撮る新入生のシャッターを切って差し上げました。
記念館に着くと、慶應義塾の塾監局基金室長の栗生賢一郎さん塾員センターの中里史朗さんが、卒業50年塾員の誘導の準備をされていました。お二人は、私が所属する「三鷹三田会(三鷹市の慶應義塾大学同窓会)」の会議等に慶應義塾の動向を報告するためにたびたびご参加いただいているので、そそり立つ新日吉記念館前で記念写真を撮りました。
そして、2年生まで在籍していた広告学研究会の同期と記念写真を撮りました。
私は法学部政治学科のL組でしたので、当時は1クラス約70名のうち女子は9名ほどだったと記憶していますが、その内卒業後も連絡を取り合って、時々は会っていた女友だちと待ち合わせをして、受付と同時に入館しました。

1階席には続々と新入生が案内され、私たちは2階席の前から3列目に座ることができました。
時間は12時45分、式の開始は2時ですから、ゆっくりと学友と会話をしながら開始を待ちました。
開式までの間、塾生の音楽クラブであるワグネルソサエティのオーケストラと男声・女声合唱団がクラシック音楽や応援歌を演奏し合唱してくれました。
やがて2時となり、壇上に、塾長、評議員会議議長、各学部長、各学部日吉主任、私の卒業年度115三田会の会長ら幹部3人が着席され、開式しました。
松浦良充常務理事による学事報告は以下の通りです。
1年次入学者:文学部;744名、経済学部;1149名、法学部;1214名、商学部;1009名、医学部;110名、理工学部;943名、総合政策学部;385名、環境情報学部;413名、看護医療学部;100名、薬学部;266名、別科日本語研修課程;71名、他大学からの2年次編入看護学部;3名、合計6407名。

伊藤公平塾長は式辞で、まず、創立者福沢諭吉先生の慶應義塾の目的を新入生と共有したいと紹介しました。
それは、「慶應義塾は単に一所の学塾として自ら甘んずるを得ず。その目的は我が日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本音を明にして、之を口に言ふのみならず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」です。
そして、「義塾」はイギリスのパブリックスクールの訳であり、公共の発展に尽くす学生の集まるところという意味だと説明し、「気品の泉源」「智徳の模範」を目指して、教員と仲間と切磋琢磨してほしいと呼びかけます。
自らの確立をはかり、自らの尊厳を保ちながら志を高めつつ、仲間の尊厳を尊重し、仲間と一緒に力を合わせていくという、まさに「民主主義の理想」を追い求めることが義塾の在り方と語ります。
そのために、「能動的に義塾の用意したリソースを使い倒してほしい」と呼びかけます。
また、「卒業後50年の塾員が参加していて、この大先輩方こそがこれまでの社会を正しく導いてきたお手本であり、塾の誇りです。」と、私たちを紹介してくださいました。塾長にそう言っていただけるような実績を残してきたかは自信がありませんが、そうありたいと心がけてきたことは確かです。
こうして、一貫して塾生本位の未来に向けた前向きのお話をされた塾長が、最後に厳しいことを言いたいとこのようにおっしゃいました。すなわち、「気品の泉源」を掲げる慶應義塾が求める気品のレベルは高いものであり、他人の尊厳を気づ付けるなら、たとえ法律を犯していなくても、厳しく対応します。自由を謳歌しつつも、社会のお手本となるようであってほしいと。その上で、大学生活をとことん謳歌してほしいと呼びかけました。

次の教員代表祝辞は薬学部の熊谷直哉教授がされました。ご自身のご経験を踏まえて、現代社会の激動に直面する時、これまでの規定路線、過去の例に頼る施策では多様な課題解決は困難であり、知識に基づいた知恵の裏付けのない挑戦はしばしば無謀であることから、新入生の皆さんの創造性、先見性に期待したい、責任ある自由の下で純度の高い情報を能動的に蓄えて確かなリーダーシップをとる力を養ってほしいと期待を披瀝されました。

新入生代表入学の辞は、法学部の鈴木夕貴さんがされました。姿勢正しく、颯爽と、新入学の喜びを語ります。そして、伝統と塾風を次世代に受け継ぐ役割への緊張を感じるとともに、現在は戦争・環境に代表されるように、世界の複雑な課題があることから、決して他人事ではなく、当事者として真摯に向き合っていきたいと語ります。また、福澤先生の「実学の精神」を引用し、テーマの設定、仮説検証を行い、合理的思考能力を鍛えて、社会に貢献すべく、積極的に行動し、「社会の先導者」になっていきたいと決意を表明しました。
その後、115三田会の会長から卒業50年記念の教育に生かしてほしいとの趣旨の寄付が伊藤塾長に贈呈されました。
最後に、新入生と卒業後50年の115三田会の全員で、大学の校歌である「塾歌」を3番まで合唱しました。

伊藤塾長が、式辞の中で、新入生にぜひ、2番のこの歌詞を大切にしてほしいと呼びかけた歌詞は、私の胸にもこみ上げるものがありました。
「往け、涯(かぎり)なきこの道を 究めていよよ遠くとも わが手に執れるかがり火は 叡智の光あきらかに ゆくて正しく照らすなり・・・・・・・」

入学式の後は、食堂での「招待会」に参加しようと記念館を出たところで、同級生で野球部に属していた山本行高選手と会いました。学生時代に英語やフランス語の授業を一緒にとっていたので、50年ぶりに会っても思わず「山本君」と呼んでいました。その山本君が見つけたのが同期の野球部の名選手・名監督の山下大輔さんです。メジャーリーグのドジャースにもご縁があるとのことで、先日もドジャースを訪ねて大谷選手とも対話をされたそうです。明るい空の下で記念写真を撮りました。
さて、三田会(同窓会)担当の常任理事によりますと、70年前に初めて卒業後50年の塾員を入学式に招待した時には、参加者は「12名」だったそうです。
けれども、今年は参加した塾員は約千名ということで、長寿化が著しいことがわかるとともに、参加者が多いので、会場は1階と2階に学部を分けての開催となりました。
政治学科のテーブルは2階で、会場に入ると飲み物と軽食が用意されていました。
各テーブルには学部学科の表示があり、私は政治学科のテーブルでL組の同級生や他の組の同期生と本当にお久しぶりに出会って話が弾みました。
何よりも、50年前に卒業した時は、50年後に入学式に招待されることを承知はしていましたが、みんな今を生きることに懸命で、ずいぶん先の子とのようにイメージしていました。
けれども、お蔭様で健康に恵まれ、入学式を祝福することができて、参加者には自然と笑顔が溢れます。
それぞれのこの間の職業や社会的な経験、国内外での経験や趣味、現在の暮らし方などは本当に多様ですが、出会えば一気に学生時代に戻る気持ちに驚きながら懇談の時を過ごしました。

1階の会場での挨拶を終えられてから、伊藤塾長はじめ常任理事、学部長の皆様が2階の会場に来られて、歓迎の挨拶をしてくださいました。
参加者は多かったのですが、幸いにも私は伊藤塾長、岩谷十朗常任理事、堤林剣法学部長にご招待への感謝をお伝えするとともに、対話をすることができました。
記念館では遠くから出会っていた塾長はじめ幹部の皆様と文字通り対面して、一気に距離が縮まり、身近な存在となりました。
この日、入学式に参加することで、精神的には新入生と同じ立場に戻り、人間として初心に戻る、文字通り「充実した一日」となりました。

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