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【慶應義塾大学名誉教授・東京工科大学元学長・初代メディ学部長の故相磯秀夫先生を偲ぶ会に参加して】

【慶應義塾大学名誉教授・東京工科大学元学長・初代メディ学部長の故相磯秀夫先生を偲ぶ会に参加して】

12月6日、慶應義塾大学名誉教授・東京工科大学元学長・元メディ学部長の【相磯秀夫先生を偲ぶ会】が、相磯先生が創立時の初代環境情報学部長をつとめられた【慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス】とオンラインのハイブリッド方式で行われたとのことです。
主催は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと相磯喜美子様とのことです。 
相磯先生とご縁の深かった元慶應義塾大学教授の所眞理雄先生、徳田英幸先生を代表に、多くの大学関係者や先生とご縁のある皆様が発起人をつとめられました。
偲ぶ会では、弔辞を安西祐一郎・慶應義塾の元塾長らが捧げられ、所眞理雄先生、坂村健先生、徳田英幸先生、村井純先生らが【思い出のお話】をされ、その中には、東京工科大学メディ学部の三上浩司学部長が含まれていたとのことです。

私は、この日は、三鷹市内で複数の事業が重なっていたために、残念ながら伺うことはできませんでした。
けれども、11月下旬に、東京工科大学メディア学部の第8代メディア学部長の三上浩司教授はじめメディア学部有志の発意で【メディア学部相磯秀夫先生を偲ぶ会】が八王子の京王プラザホテルで開かれ、私は相磯先生に続く第2代メディ学部長としてお声がけをいただき、参加しました。
当日は、教職員や卒業生が32名参加し、旧交を温めました。
その日の司会は、メディ学部の寺澤卓也教授がつとめられ、まず相磯先生のお写真に向けて黙祷を捧げました。
そして、メディ学部創立時1999年からのメンバーである藤澤公也准教授が相磯先生のご功績を紹介されました。

次に、私が、参列者の代表として【お別れの言葉】を述べさせていただきました。
私は、相磯先生がその場にご一緒にいてくださるような気持ちで語りかけました。
お話ししたのは主に、次のような事柄です。
〇相磯先生の構想力、求心力と牽引力、何よりもお優しい人間味あふれるお人柄によって、東京工科大学が1999年4月、他大学に先駆けて【メディア学部】を創設してから26年を迎えていること。
〇相磯先生は研究者として、次世代コンピュータについての先駆者であるとともに、高等教育の教育者として、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスを創設し、1990年に環境情報学部初代学部長に
さらに、東京工科大学学長として、東京工科大学の新学部の創設にも貢献されたこと。
〇この間、メディア学部は一貫して、社会とメディアについての研究、教育と実践の最前線にあり、引き続き多くの学生を迎え、送り出し、多くの卒業生が、それぞれの場で、活躍していることともに、三上学部長のもとで、メディア学部は、AI(人工知能)、ロボットを含む研究と教育の新たな地平を切り拓こうとしていて、引き続き、多くの受験生がメディ学部を志望していること。
〇私は、相磯先生の跡を引き継いで、第2代学部長を務めさせていただきましたが、相磯先生が学長として見守り、助言してくださいましたので、緊張はしつつも、メディ学部卒業生の進路の確保や大学院創設に向けて努力することができたこと。
〇ところが、最初の卒業生を送り出す直前に、図らずも、私は三鷹市長選挙に挑戦するお話を当時の三鷹市長及び市民の有志からいただき、大学教員を天職と考えて迷い悩みました。その時に、私に寄り添い、励まし、片柳鴻理事長とともに深いご理解をいただき、私の新しい分野に挑戦する決断を導いていただいた御恩は極めて大きいこと。
〇三鷹市長在任中には、たとえば、三鷹ネットワーク大学推進機構の理事をはじめとして、市政に大いにご貢献いただいたこと。
などなどです。
相磯先生との想い出は溢れるほどありますので、その内のほんの一部を紹介しながら、凝縮ながら「ゆっくりとお眠りください」とは言えずに、むしろ、これからも「私たちとご一緒にいてください」とお願いしてしまいました。

私の【送る言葉】に続いて、全員で相磯先生の遺影に献花を手向けました。
挨拶と献杯は、第3代メディア学部長の山口治男先生で、和やかに相磯先生とご縁のある皆様との再会の会食が始まりました。
途中、現在のメディア学部教務委員長の渡辺大地教授が、東京工科大学及びメディ学部の近況を紹介してくださいました。

また、元メディア学部教授と卒業生が近況報告をしました。
久しぶりの再会の場で、特にうれしかったのは、私が、メディア学部長として、文部科学省の大学設置審議会の審査を経て開設が許可された大学院メディ学研究科の第1期生が数名参加してくれていたことです。
そして、修士のみでなく、後期博士課程を修了して博士の学位を取得した卒業生もいて、本当に感激しました。
たとえば、有本泰子さんは、博士の学位を取得して、現在は千葉工業大学情報変革科学部情報工学科の教授をしています。
渡邉賢悟さんは、博士の学位を得て、電気関係の株式会社の代表取締役をつとめつつ、教育分野での貢献もしています。
修士の林彰英さんは、ある教育関係の会社の副社長として活躍しています。
同じく修士の寺師義和さんは、システムエンジニア及びフォトグラファーとして活躍しています。

また、メディア学部創設時は、若手の助手や専任講師であった先生方が、それぞれの教育研究の実績を重ねて、准教授や教授に昇進されていました。
その代表は、三上学部長であり、司会の寺澤教授であり、相磯先生の略歴を紹介した藤沢公也准教授、教務委員長の渡辺大地教授、そして、天野直紀工学部教授です。
【相磯先生を偲ぶ会】を通して、私は今、インターネットは情報生活の基盤となり、生成AI、ロボット、SNSなどが日常生活に使用される時代を迎えて、改めて、1999年という20世紀の最後の時期に創設された、日本で初めての【メディ学部】の最年少の教授として相磯先生に招聘されたことのありがたさを痛感しました。
そして、相磯先生に続く学部長を経験させていただいこと、多くの教職員の皆様、学生の皆様と出会い、そして、今もまだ交流が続いていることを大切な【宝物】だと思い、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

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