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【歳末の対話】~禅林寺で学ぶ、文化と福祉、そして「まちづくり」の心~

【歳末の対話】~禅林寺で学ぶ、文化と福祉、そして「まちづくり」の心~

年の瀬も押し迫ったある日、三鷹の歴史を見守り続けてきた名刹、禅林寺を訪ねました。
迎えてくださったのは、木村得玄(とくげん)先生と、現住職である木村昌悟(しょうご)先生のお二方です。

◆文学の街・三鷹
禅林寺といえば、森鴎外(森林太郎)や太宰治(津島修治)という、三鷹ゆかりの文豪が眠る場所として広く知られています。
6月19日が誕生日及び桜桃忌の日である太宰治は、『舞姫』『雁』『高瀬川』『阿部一族』などの小説で知られる森林太郎のお墓のそばに埋葬してほしいと希望したとされています。
そして、墓地の森林太郎のお墓のはすむかいに太宰治のお墓があります。
禅林寺の山門をくぐり、境内の藤棚の下を事務所に向かって歩くと、その途中にあるのが森林太郎の石碑です。
森林太郎は大正11(1922)年7月9日午前、親族と親友の賀古鶴所(かこつるど)らが付き添うなか、満60歳で亡くなりました。
その直前の7月6日に、彼の遺言を賀古鶴所が聞き取ったとされており、石碑の内容は、賀古氏に最後の言葉を託すということと、「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」を主旨とする森林太郎の遺言です。
木村得玄先生は、「若い頃に石碑の建立がされた頃のことを思い出すと、野田宇太郎氏の発起で、建築家の谷口吉郎氏の協力で石碑が建立されたのです。野田さんは賀古さんが聞き取った内容はぜひ残すべきだというお考えで、石碑の建立に熱心に取り組んだのです。」と教えてくださいました。
木村得玄先生は仏教学者でもあられ、かつては太宰治を偲ぶ「桜桃忌」の日に語り合う会を主宰されたり、毎年6月の「太宰治賞」贈賞式にも足をお運びいただくなど、この街の文学的風土を深く支えてこられました。
しかし、今回改めて深く胸に刻まれたのは、そうした「文化」の面だけではありません。
禅林寺のお2人との「福祉」と「まちづくり」という、市民生活の根幹に関わるお話を通じて、リーダーとしての在り方を再確認する貴重な時間となりました。

◆ 慈悲の心を形に:「禅林寺龍華会基金」
禅林寺内には「禅林寺龍華会(りゅうげかい)基金」が設立されています。
私が三鷹市長を務めていた頃、この基金を通じて、三鷹市社会福祉協議会、ハンディキャブをはじめ市内の福祉団体へ車両や車いすなど多くのご寄贈をいただきました。
寄贈の席に同席させていただくたびに、地域に根差した寺院が、こうして市民の暮らしを支える「公(おおやけ)」の役割を担ってくださっていることに、深い敬意と感謝の念を抱いたものです。

◆ 「まちづくり」の要諦を学ぶ
そしてもう一つ、忘れてはならないのが「まちづくり」への貢献です。
木村得玄先生は、JR三鷹駅前の再開発――現在の「三鷹コラル」や「トリコナ」といったランドマークの建設において、民間のリーダーとして尽力された方でもあります。
地権者の皆様お一人おひとりの立場や想いを理解し、時間をかけて合意形成を図り、円滑に事業を進めていくという、粘り強く、慈愛に満ちた調整のお取組みについてお話を伺うことは、市長在任中から現在に至るまで、私にとって「まちづくり」の真髄を学ぶ生きた教科書となっています。
文化を守ること、社会福祉活動を支援すること、そして街の未来を創ること、これらはバラバラにあるのではなく、人々の暮らしの中で「多元的」に繋がっているのだと、お二人のご住職との対話を通じて改めて教えられました。

静かな歳末の禅林寺でいただいたこの学びを、来るべき新しい年への指針として、大切に心に留めたいと思います。

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