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「高畑勲展~日本のアニメーションに遺したもの~」から考える、「アニメ―ションは文化である」ということ

「高畑勲展~日本のアニメーションに遺したもの~」から考える、「アニメ―ションは文化である」ということ

2019年7月1日、翌2日から10月6日まで、東京国立近代美術館で開催される「高畑勲展~日本のアニメーションに遺したもの~」の内覧会に、主催する東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーションからの招待を受けて参加しました。

最寄り駅の東京メトロ東西線の竹橋駅を降りるとすぐの掲示板に、「かぐや姫の物語」「アルプスの少女ハイジ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ となりの山田くん」の作品をデザインした4枚のポスターが歓迎してくれます。

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竹橋駅の高畑勲展のポスター

高畑勲監督(1935-2018)は、1960年代から半世紀以上にわたって日本のアニメ―ション映画を制作し、監督して、それを文化へと昇華させた功労者です。
私が高畑監督と初めてお会いしたのは、東京工科大学メディア学部教授であったときに、株式会社スタジオジブリの依頼で、三鷹市立アニメ―ション美術館(三鷹の森ジブリ美術館)を運営する公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団の理事をお引き受けした時に、高畑監督も理事をされていた理事会の場でした。
三鷹市長に就任後は、同財団の副理事長として、折々にお目にかかり、お話をする機会を得てきました。

逝去された前年の2017年の秋、ジブリ美術館の館長が交代されるとのことで、私の依頼で理事会のメンバーが記念写真を撮りました。
その時、高畑監督は遠慮がちに後ろの列の端の方にいらっしゃったのが印象的です。
写真を撮ったあとの帰りがけには、「清原市長さん、いろいろと忙しいと思うので、体に気を付けてくださいね」と言ってくださいました。
ところが、私の健康を気遣ってくださっていた高畑監督は、翌年の4月、ご病気で天に召されたのです。
本当に残念で、悲しいことでした。

高畑監督の優しさを思い出しながら会場に到着したところ、午後3時からの内覧会の開始を待つ参加者はロビーにあふれていて、お会いしたジブリ美術館の安西香月館長と一緒に、「小雨の降る日にも関わらず、高畑監督とご縁のある多くの参加者がいらして、エアコンが効かないくらいの熱気ですね」と話しながら、内覧会の開始を待ちました。

3時になり、最初に挨拶をされたのは独立行政法人国立美術館東京国立近代美術館の館長に就任されたばかりの加藤敬(かとうたかし)さんです。
加藤さんは、高畑さんの作品を「アクションやファンタジーとは一線を画した日常生活の丹念な描写に支えられた豊かな人間ドラマ」であるとして、「高畑さんの代表作を時代順に紹介しながら、『演出』の視点から、多数の未公開資料によりその革新性と創造性に迫るもの」であると紹介されました。

続いて、高畑勲さんの長男である高畑耕介(たかはたこうすけ)さんが挨拶をされました。
挨拶ではまず、「この企画のお話があったとき、高畑勲さんは、アニメ―ションの演出家の仕事を美術展としてひも解くことは難しいのではないかと言っていた」と言われました。
そして、「父は創り手である前に芸術愛好家であった」こと、「受け手が自発的に自由に考えるような作品作り、作品を見る人の能動性や主体性を尊重していた」こと、監督としての仕事としては「映画を見る人々が、作品の余韻や余白を感じ、学びや発見をしていくことを尊重していた」など、身近なご家族ならではのお話をされました。
最後に、「この展覧会によって、作品自体を見直し、新しい何かを発見していただくことを期待しています」と結ばれました。

会場の入口には、大きな「かぐや姫の物語」の絵が迎えてくれます。
そこでばったり会ったのが、私の東京工科大学メディア学部教授時代の同学部1期生の教え子で、当時はスタジオジブリで「かぐや姫の物語」の制作デスクをしていた吉川俊夫さんです。
久しぶりに再会して、一緒に展示を見ることにしました。

展示会場に入ってまもなく出会ったのが、高畑監督の奥様です。
「かぐや姫の物語」が完成後まもなく、三鷹市のコミュニティ映画祭で、この映画の上映と高畑監督のトークショーが開催されました。
その時に、監督とご一緒に来られていた奥様と私は出逢っていました。
また、2018年にはジブリ美術館での高畑監督を送る会でもお目にかかっていましたことから、今回の展示についてお祝いを申しましたところ、「生前にこの企画の話があり、本人は実現は難しいのではないかと言っていたので、今回の展示の実現をきっと喜んでいると思います」と笑顔で話されました。

次に巡り合ったのがご子息の高畑耕介さんです。
耕介さんは、吉川さんが挨拶すると、「父はかぐや姫の物語の制作のチームを大変に信頼していたので、映画が完成して解散したことが残念だったようです。
機会を作って、私がその時の皆さんとゆっくり会いたい」とおっしゃいました。
吉川さんは、そのご意向を聞いてとてもうれしそうでした。

展示の中には、高畑さんの絵コンテ、ロケハンや取材メモが多くあり、いずれも、ご遺族がご自宅で発見した貴重な資料や、関係者の皆様の提供による資料だそうです。
また、高畑監督が作品について語っている映像も、いくつかのアニメ―ション作品とともに数か所で展示され、高畑さんのお話をじっくりと聴かれる方も多くいらっしゃいました。

アニメ―ション映画の半世紀の歴史を振り返るとき、その基礎にも、潮流の中にも、高畑監督が確かに存在していることを、これらの展示資料が証明していると感じました。
展示会場は原則撮影禁止ですが、撮影が許可されている展示がありました。「アルプスの少女ハイジ」のジオラマです。精巧にできたアルプスの風景を背景に、吉川さんに写真を撮っていただきました。

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「アルプスの少女ハイジ」のジオラマとともに

さらに、「じゃりン子チエ」「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などの、日本人の戦中・戦後の経験を問い直す内容を含む多彩な展示があり、その内容は圧巻でした。
広い会場に展示されている多様で貴重な資料を前にして、これらのすべてをしっかりと理解しながら読み解くには時間がいくらあっても足りないという想いで会場を出ると、展示会場の外には、「アルプスの少女ハイジ」の家も展示されています。
懐かしい想いでいっぱいになりました。

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アルプスの少女ハイジの家

そして、ようやく出会えたのが、今回の展示に全面的に協力された株式会社スタジオジブリの中島清文社長です。
中島社長は、「高畑さんのすごいところの一つは、関わられた作品の資料をきちんと保存されていたところです。実は、亡くなられた後に、貴重な制作関係資料がご自宅から多く発見されたのですよ。その一部が有意義に展示されています。」とおっしゃいました。
中島社長はこの記事のトップに置いた高畑勲展の看板前での写真を撮ってくださいました。

今後も、こうした貴重な資料に基づいて、アニメ―ション映画の演出や制作過程についての研究が深まるように思います。

私は、今回の「高畑勲展~日本のアニメーションに遺したもの~」は、高畑監督による作品ごとの関係資料の展示を通して、まさに、私たちの日常生活の中に「アニメ―ションは文化である」ということが定着していることを確認させてくれたように思います。
何度でも訪問したくなる展覧会でした。

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