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都立三鷹中等教育学校第65回「鷹校祭」を訪問しました

都立三鷹中等教育学校第65回「鷹校祭」を訪問しました

9月10日(日)、都立三鷹中等教育学校の第65回【鷹校祭】を訪問しました。
今年は一般の人も参加できるということで訪問しました。
この学校は、都立の学校としては市内で唯一の学校であることから、私は三鷹市長在任中に、地元市長として入学式や卒業式に、地元選出の都議会議員の皆様とご一緒に招待していただいており、出席が可能である限りは出席してきたというご縁があります。
この学校は、もともとは昭和23(1948)年に設置認可を得て、昭和24(1949)年三鷹町立高等学校として、三鷹町立三鷹中学校(現在三鷹市立第一中学校)内に定時制普通課程のみで開校しました。
その後同年4月1日に、全日制普通課程が設置されました。
昭和25(1950)年に三鷹市が市制を施行したので、三鷹市立三鷹高等学校と改称しました。
その5年後の昭和30(1955)年4月1日よりに設置者の変更により東京都立三鷹高等学校となりました。
そして、校地が現在の三鷹市新川に決定され校舎が建設されて、昭和33(1958)年2月に移転しました。
その後、定員増やそれに伴う校舎の増築・鉄筋化、体育館等の整備が進みました。
加えて、私が三鷹市長在任中に、都立高等学校として大きな変革があったことから、ご縁の深さをさらに強く感じていました。
その大きな変革こそ、3年生の高等学校から、平成22(2010)年4月に6年制の小中一貫校である「東京都立三鷹中等教育学校」として開講したことです。
その際、三鷹市では【コミュニティ・スクールを基盤とした小中一貫教育】を実施していることから、東京都教育庁に高校からの編入学を可能にしてほしいとお願いしましたが、なかなか実現は難しいということで残念に思っていました。

特に、平成22年3月31日に定時制課程が閉課程したことは印象的です。
私が通学していた、都立富士高校(現在は同様に中高6年一貫教育校)にも定時制がありましたので、とても親近感を持っていました。
当初より有数の定時制高校としてその教育が評価され定着していました。
閉課程するまで毎年のように定時制の卒業式に出席していた私は、何らかの事情で普通課程で学ぶのではなく、定時制を選択した生徒の真摯な勉学や諸活動への努力の集大成が卒業式では披瀝されたのです。

また、2007年には、【第86回全国高等学校サッカー選手権大会】において、都立三鷹高等学校は東京都B代表として初出場しました。
そこで、私はチームを応援するために学校を訪問したり、保護者、教職員、市民や職員の皆様とご一緒に試合の応援にも出向きました。
そして、チームは、準々決勝で藤枝東高校に健闘したものの惜しくも破れたとはいえ、【都立高校史上初の全国大会3勝】という快挙を成し遂げたのです。
そして、中等教育学校が創立して5年目の平成27年3月31日に東京都立三鷹高等学校が閉校となりました。
その後、校舎やグランド等の整備が着実に進みつつ、生徒の皆さんの多様な活躍が積み重ねられつつ、令和元年には創立10周年記念式典が挙行されています。
市長退任後はもちろんんこと、入学式や卒業式に出席することはなくなりましたが、校舎は杏林大学医学部及び附属病院に隣接していますので、その前を通るたびに気になっていました。

文化祭の会場は、2日目の朝早くから保護者や生徒のきょうだい、近隣の小学生の親子連れを含めてたくさんの方々が参加しています。
生徒の紙媒体やみずからの説明による学習発表はもちろんのこと、特に、キーホルダーなどの創作イベント、演劇や音楽演奏、図書室での「謎解きイベント」や喫茶スペース等も整理券を配るなど大変に混んでいました。
そこで、手作りイベントについては年長者の1人として遠慮をしていましたが、1年生が実施していた「酪農」イベントとして、牛乳パックでつくる紙づくりの定員に少し余裕があったので参加しました。
1年生の生徒が丁寧に段取りを説明してくれて、熊のカタチがきれいにできて、最後にアイロンをしっかりかけてくれたお蔭様で、私の初めての紙づくりも成功しました。
校内での撮影は保護者のみ可能ということでしたので、校内の様子を写真ではお知らせできませんが、この日、【鷹校祭】で出会った、生徒の皆様の学びや表現、イベント運営のチカラがもたらす活気を感じて、元気をもらい、感謝しています。

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