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都立富士高校及び慶應義塾大学の同期会に参加しました

都立富士高校及び慶應義塾大学の同期会に参加しました

今年の12月は高校と大学の同期会に続けて参加する機会を得ました。
12月の初めには、都立富士高校の同期会が開催され、中旬には、慶應義塾大学のクラブの同期会が開かれました。
いずれも、幹事役を引き受けてくれる人がいるからこそ開催されるわけで、本当にありがたいと思います。
三鷹市長在任中は、同期会のご案内がきても、公務優先のためになかなか参加できませんでした。
でも、今年は参加できる日程で、本当にうれしい気持ちで参加しました。
私が通学した都立富士高校は、東京府立第五高等女学校が前身の高校でしたので、生徒の男女比は3対2で女子が多い構成でした。
当時は都立高校に「学校群制度」が導入されて、私が応募したのでは中野区に所在する都立富士高校と杉並区に所在する都立西高校で構成される「第3学区第32群」でした。都立西高校は、男女比が3対2で男子が多い構成でした。
学校群制度とは、いわゆる「詰め込み教育批判」に対応するということで、学力試験の科目数が9科目から3科目へと削減されました。そして、9科目の内申と学力試験とを実質的に同等に評価することとなりました。
けれども、第二志望を認める仕組みをなくしましたので、不合格者は学区内での成績いかんにかかわらず他の都立高校へは進学できないこととなりました。
私の場合は、高校も併置されている私立の女子中学校に通学していましたので、本来はそのまま高校に進学するところ、3年の2学期になって自ら都立高校受験を決意して臨んだことから、内申重視と受験科目が3科目になったことは、実はありがたかったのです。
また、この制度は受験生が進む高校を選ぶのではなく、合格者には志望した学校群の中から通学する高校が振り分けられる制度でしたので、私が振り分けられたのは都立富士高校でした。
そこで、中には西高校に進学したかったのに、不本意にも富士高校に振り分けられた合格者もいたわけですが、だからこそ、まさにご縁の深い同期生だと言えるかもしれません。
この制度は1967年から1981年に「グループ合同選抜制度」が導入されるまで存続しました。
当時は各学年9クラスあり、1クラス50人ほどで構成されていたので、同期の卒業生は約450名です。同期会にはその内の90名ほどが参加し、当時の男女比は嘘のように、男性の参加が圧倒的に多かったのです。
私は高校3年生の時は私立文系コースを志望したので、女子だけのクラスでした。女子だけのクラスはもう一つあったのですが、いずれも参加者は数名で、今回は理系進学コースの参加者がそれぞれ各クラスで10名を超えて、結果として男性の参加者が多かったのです。
当時の進学コースの男女比を反映しているわけですが、今でもこうした傾向がかなり残っているようにも思います。
この日、私は3年生の同級生だけでなく、1年生や2年生の時に同級であった友人との会話が弾みました。
たとえば1年生の時にクラスの有志で清里の寮に出かけた時にコーディネートしてくれたT君が大阪からわざわざ参加してくれて再会できましたし、クラスは1度も一緒になったことがないのになぜかよく会話したKさんとも会えなかった年月が嘘のように和やかにおしゃべりをしました。
そして、12月中旬には、ひょんなことから慶應義塾大学のクラブの同期会に参加することになりました。
というのは、先日私と政治学科のゼミナールもクラブも一緒のO君にゼミナールの関係で数年ぶりに電話をした際に、クラブの同期会がまもなく開かれることを教えてもらったことがきっかけでのサプライズ参加となりました。
私が所属していたのは広告に関するクラブでしたが、私は2年生いっぱいで退部したので、卒業後、このようなクラブの同期会が開かれていたことを知りませんでした。
クラブを辞めた理由は、当時は2年生から開設されていたゼミナール(コミュニケーション論)にはサブゼミもあり、その勉強の準備が結構大変で、クラブ活動との両立が難しいと判断したためです。
こう言うと、「がり勉(今では使わないかも)」のように聞こえますが、実は、家庭教師や実家の小売り酒屋の配達の手伝いなどもしていたので、時間調整がうまくいかなかったことが要因です。
さて、この日のクラブ同期会の私以外の参加者9名は全員が男性でした。
学部も多様で、私と同じ法学部政治学科の人もいれば、経済学部、商学部等と多様です。
出身も、九州が3人いたのをはじめ全国に広がっています。
このように、クラブのメリットは、幅広い人と知り合えることだと改めて思いました。
卒業後ほぼ初めて参加した私のために、それぞれが自己紹介をしてくれましたが、企業人として国内外で働いていた人が大半でした。
そして、退職後の現在は、なんと9名中3名が家庭裁判所の調停委員を務めていました。また、他のある人はそれぞれの自治体のシルバー人材センターメンバーとして学童保育の指導員をしていて、さらにもう一人は、同じくシルバー人材センターメンバーとして公共施設の管理をしていました。
まさに、大学同期のクラブの友人たちが、それぞれに公共性の高い活動をしていることを誇りに思います。
さて、K君は自己紹介の中で、「実は気づいていなかったと思いますが、学生時代に3ヶ月だけ清原さんのことが好きだったんですよ」と話した時は、みんなが一緒に、「その時にちゃんと言ってくださいよ」とつぶやいてしまいました。
でもK君が言った「3ヶ月だけ」と言うところにまさに「青春時代」が象徴されていると、私はそのユーモアをやさしさと受け止めました。
同期の昼食会の後、メンバー一人のご夫人も加わって、お茶を飲みながらさらに会話を深めました。
こうして高校の同期会でも、大学の同期会でも感じたのは、旧友たち1人ひとりに「人に歴史あり」ということです。
高校3年間、大学4年間の決して長くはない青春期を共に過ごしたメンバーならではの、同じ時代を生きたという共通点が、卒業後数十年の時を超えて、心を通わせ、それぞれの生き方に尊敬の想いを持てるひと時を与えてくれました。
12月のおもがけない旧友との再会でよみがえった「青春の息吹」が、新しい年に向けてエネルギーを与えてくれたように思います。

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