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三鷹市の「令和6(2024)年賀詞交歓会」に参加しました

三鷹市の「令和6(2024)年賀詞交歓会」に参加しました

三鷹市公会堂光のホールで午前11時から開催の賀詞交歓会に参加しました。
日毎に能登半島地震の被災状況が深刻であることを知り、市長経験者としては、被災者の皆様のご心情に思いを馳せ、また被災地の首長の皆様が住民・職員の皆さんと現場で大きな苦難に直面している事を身近に感じており、新年のお祝いの場に参加する事に大きな躊躇がありました。
けれども、幸い無事に過ごしている私が、元気に前を向いて身近な皆様と日々を大切に生きていくことが必要と思い直して、衣装からも明るい花柄を選んで会場に臨みました。

今年の恒例の式典前のミニコンサートは、市内在住の盲目のソプラノ歌手の澤田理絵さんの歌唱で、作曲家・ピアニストのみながわちかこさんが伴奏をされました。
盲導犬のルーちゃんと一緒に登場した澤田さんは冒頭、アメージング・グレースを歌った後、「能登半島地震を知り、心を傷めて選曲も少し変えましたが、何よりも被災地の皆様のためにも、私たちが前を向いて、元気にしていくことが大切と思います♪」と言われたのです。
まさに想いは同じと、私は大きく頷きました。
澤田さんはオペラやカンツォーネの他に、三鷹市ゆかりの中田喜直さんの「夏の思い出」やジブリソングメロディを、目の醒めるような美しい声で、歌われました。
そして、同じく盲目の大学生の娘さんが作詞し、みながわさんが作曲した「くれないの花」を歌われました。
その詩の中に、「素直で謙虚であることが未来の扉を開く」という趣旨の箇所があり、「その通り」と思い、若い作詞家の言葉の重みを受け止めました。
その後の式典では、最初に能登半島地震で亡くなられた方々への黙祷を捧げ、主催者の1人である商工会長の開会の挨拶、主催者代表として市長の挨拶がありました。
けれども、今年は来賓の都議会議員、衆議院議員についてはお名前のご紹介だけで、挨拶がなかったのが少し残念でした。
おそらくその後飲食を含む懇親会を行うための時間的な配慮だったのかもしれないと思いますが、個人的には、厳しい社会経済状況の中、普段はなかなか地元選出の東京都議会及び国会の議員の皆様と出会う機会が少ないこと、また天災を含む昨今の情勢を踏まえ、新年を迎えた各議員の現状認識と展望を直接聴きたかったと思いました。

交流会への移動の途中、元気なこどもたちを含む「井口囃子」保存会の皆様が、お祝いのお囃子と踊りを披露してくださいました。
そして、交流会では市議会議長による乾杯のご発声ののち、在職中に協働のパートナーとしてお世話になりながら、コロナ禍もあり、なかなかお目にかかる機会が少なくなっていた市民や関係団体の皆様と対話の時を持てて幸いでした。
たとえば、作家の吉村昭さん、名誉市民の津村節子さんのご長男である吉村司さんと久しぶりに対面でおめにかかりお話が弾みました。
そして、主催者の1人であるJA東京むさしの小林俊之代表理事・組合長や、伊藤嘉美常任監事、浅見佳寿子理事はじめ関係者の皆様とも、改めて厳しくても今年も頑張る「三鷹の都市農業」の元気を確かめ合いました。

今日の多様な皆様との交流をチカラに、しっかりと前を向いて、一歩ずつ着実に歩みを進めていきたいと思います。

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