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【防災の日】に無事を知らせる【黄色いタスキ】を掲げて

【防災の日】に無事を知らせる【黄色いタスキ】を掲げて

9月1日は、1960年(昭和35年)に【災害対策基本法】で制定されている【防災の日】です。
この日、三鷹市から、「9月1日の【防災の日】の全市的な防災訓練として、家のドアに無事を知らせる【黄色いタスキ】を掲げましょう」との呼びかけがあり、それに応えて黄色いタスキを掲げました。

このタスキは、市や町会から無償で配布されたもので、【災害時に外から見える場所に掲げることによって、無事を知らせる安否確認のしるし】です。
キャラクターはチワワがモチーフの【自助】を強める【じじょまる】くんです。

パンフレットによれば、このタスキを掲げるメリットは次の通りです。
〇ご近所の安否確認が一目でわかります。
〇安否確認が早く取れることで、本当に助けが必要な方をより早く救助できます。
〇【黄色は無事のしるし】として、黄色いものなら何でもOKとしています。

災害時に黄色いハンカチや黄色いタオル等で「無事」を知らせる取組は、静岡県富士宮市を先駆けとして全国で広まっているとのことです。
三鷹市では2022年度から市内の町会・自治会等の協力得て「黄色いタスキ」の普及に取組んでいますが、ご近所で掲示しているお宅はほとんどありませんでしたので、まだこのサインの意味は浸透していないようですので、かえって我が家で掲げて、【なるほど】と気づいていただければ幸いです。

映画【幸福の黄色いハンカチ】では、主人公が出所直後の網走で夕張に住む妻宛てに出した葉書には「もし、まだ1人暮らしで俺を待っててくれるなら…鯉のぼりの竿に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。それが目印だ。もし、それが下がってなかったら、俺はそのまま引き返して、2度と夕張には現れない」と。
とはいえ、本人は臆病でハンカチを確認できないでいたところ、同じ旅をしていた若者2人が発見したのが【数十枚もの黄色いハンカチ】が、鯉のぼりの竿で風にたなびいていた風景だったのです。
こうして、黄色いハンカチ・タスキは、無事と愛情を表す象徴と言えるのかもしれません。
これを掲げるような災害が来ないことを祈りながら、私は【防災の日の訓練での無事】を伝えました。

さて、私は、幼い頃、大正12(1923)年10月10日生まれの母から教えられました。
「私が生まれた年の9月1日の正午ごろに【関東大震災】が発生したのよ。私のお母さんはその揺れに耐えて臨月の私を守って、10月まで頑張ってくれたのよ。【関東大震災】は関東地方南部を襲った大地震で、東京府(現在の東京都)や神奈川県を中心に深刻な被害をもたらしました。そこで、私のお母さんが頑張ってくれたので、私が生まれたのであり、あなたも生まれることができたことになります。9月1日にはその被害で亡くなった人々に思いを寄せて、感謝しながら、防災について考えながら生きていきましょうね」と。
その会話から、私にとって9月1日は、法定の【防災の日】であるとともに、【我が家の防災の日】となっています。

そして、1995年1月17日早朝に【阪神淡路大震災】が発生した際に、当時大学教員であった私には兵庫県から「地元の大学教員の多くは被災者でもあり、東京の大学研究者にも復興計画の策定を支援してほしいと」依頼があり、【兵庫県震災復興計画(フェニックス計画)】策定委員会の委員を務めさせていただきました。
その後【阪神淡路大震災復興10年委員会】のメンバーとなり、兵庫県からの依頼にはすべて応えることとして、科学技術審議会委員や職員研修講師をさせていただきました。
その時から、1月17日も大切な【防災の日】になりました。

2003年に三鷹市長に就任してからは、【宮城県沖地震2003】【新潟県中越大地震2004】【東日本大震災2011】【熊本地震2016】【西日本大水害2018】等が発生した時には、義援金・義援物資の送付や災害時支援職員の派遣等を実施しました。
また、【全国市長会防災対策特別委員会】の委員として、被災地の皆様の報告から多くを学び、連帯しました。
特に、【東日本大震災】では、三鷹市も震度5弱を記録しましたので、長引く余震や計画停電、東京都の水道水が赤ちゃんのミルクへの利用には不適となるなど、市民・職員・関係機関の皆様と多くの厳しい対策の経験をしましたので、3月11日も【防災の日】になりました。

そうした中で、三鷹市役所隣地の【東京多摩成果】の移転計画を受けて、社長はじめ株主の皆様のご理解を得て、その土地を譲渡していただき、隣地の地主の皆様のご協力も得て、2017年2月に【三鷹中央防災公園・元気創造プラザ】を竣工することができました。
【三鷹中央防災公園】は、【災害時の避難場所及び防災機能を備えた拠点とするとともに、市民の交流の促進及び健康の増進を図る】ために設置したものです。
幸いにも、私の前の市長の時に景気低迷から設計図ができていたのに建設を延期せざるを得なかった【総合スポーツセンター】を、防災公園内に整備することもできました。
熊本地震発生の際に、益城町の町長さんが「防災公園は町役場の隣がよい」と言われたことに意を強くしたことを覚えています。

【防災の日】は9月1日だけでなく、毎日の心構えと具体的な対策が必要です。
訓練の時だけでなく、いざというときにこそ、無事を知らせる【黄色いタスキ】を掲げることができますように、家族でしっかりと話し合い、対応したいと改めて決意しました。

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