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阪神淡路大震災が発生して26年が過ぎました。

阪神淡路大震災が発生して26年が過ぎました。

1995年1月17日、 阪神淡路大震災が発生して以来26年が過ぎました。

この大震災では、6400人余りの犠牲者が尊い命を失いました。
また、多くの人々がケガをしました。さらに多くの建物が倒壊し、火災で焼損しました。
そうした中、発災直後から全国からの多数のボランティアの活動が長期間にわたって被災地の支援に貢献しました。
そのことを決して忘れないように、この1月17日は「防災とボランティアの日 」とされました。

私は当時、三鷹市大沢のルーテル学院大学の教員をしており、兵庫県の情報化施策に協力をしていた経過から、震災直後に「阪神淡路大震災震災復興会議」の委員を依頼され、なんでも協力したいと快諾して委員を務めました。
県庁の事務局では、今までご縁の深かった近隣の大学教員の多くは被災していることもあり、東京の大学教員にも協力を依頼することになり、私にも依頼があったとのことです。
そして、2月に初会合が開かれ、ヘリコプターで上空から被災地の状況を確認し、徒歩でも被災状況を確認しました。
暖房も効かない寒い県庁会議室で、集まった委員は、迅速に復興計画をまとめることで心を一つにしました。

その後は、インターネットで情報を共有し、意見交換を行い、3月末には「不死鳥」のように1日も早くよみがえることを目指して『ファニックス計画 』という名称の復興計画をまとめました。
その後、私は、被災地から依頼されたことはすべて引き受けて支援しようという約束の「兵庫県復興10年委員会」のメンバーになりました。この委員会では、建築家の安藤忠雄さんがリーダーシップを取り、被災地に多数の植樹をしました。

私の場合は、依頼を受けた兵庫県の「ひょうご情報社会創生推進懇談会」及び「科学技術会議」の委員や「兵庫県自治研修所」の講師を務めるとともに、神戸市に拠点を持つ社会福祉法人プロップステーション(竹中ナミ理事長)の理事をお引き受けするなど、2003年に三鷹市長に就任するまでの間は、年に何回も兵庫県を訪れました。

大震災発災から26年、東日本大震災発災からまもなく10年、コロナ禍で追悼の催しには配慮が必要になっているとはいえ、決して忘れてはいけない大震災がもたらした事実があります。
防災とボランティアの日の今日、犠牲者の皆様に哀悼の意を表し、これからも引き続き、厳しいコロナ禍を乗り越える被災地の限りない復興を心からお祈り致します。

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